地球最古の森をアボリジニの長老CJと歩く〜ソウルジャーニーDay2
2019/06/14 アボリジニの聖地・教え, ケアンズ・ソウルジャーニー
10年ぶりに訪れたCJの敷地は、随分手入れが行き届いていました。電気も電波も通ってた。
でも、周りの大自然はそのまま。今年の雨期はひどく雨が降り続き、私たちが行った前の週までは、通れない道路も多々あったとのこと。
それもそのはず。彼の敷地は、オフロードの山道を上がり、こんな川を5度も渡った所にあるのです。
オンボロの車で(ごめんなさい)窓を全開にし、風を浴びながらガタゴト道を進んで行くうちに、日頃便利な暮らしをしていると忘れてしまう、野生の嗅覚やアンテナが少しづつ立ち出すのを感じます。
山を下ってパンやミルクを買いに行くのも1つのイベントになりうる暮らし。
天候に左右され、天にも地にも許可をもらうがごとく振る舞う、静かで謙虚な暮らし。
ここに流れる空気は特別です。
なんだろう、自分の気配すら消えて、自然の中に溶け込んで行くような。
「わー、綺麗」とか「癒される」とかそんなんじゃない。優しくも厳しくもなく、ただ堂々としていて、そのまんま。
だから、足を踏み入れさせてもらう自分も、そのまんまでいられる。
雨上がりのしっとりした雨林に行く前、CJがスモーキングセレモニーをしてくれました。
日本の神社や仏閣も、アメリカンインディアンも。。煙を浴びるのは、場所を問わず、人間が大いなる存在に近くための共通の儀式。
近くの木から手折った枝葉に火がくべられ、少しづつ煙が立ち始めました。
自分と自分以外の境界線が曖昧になり、パチパチと言う火の音が空気に溶け、独特な香りが漂って。。
五感が研ぎ澄まされていく。
近くの小川から今朝とってきたと言うクレイで、顔にペインティングを施してくれました。周りの自然の一部が自分の肌に乗ったことで、土地との距離が少し縮まった感じがするのは気のせいでしょうか。
アボリジニの人々は、自然の中や聖地に足を踏み入れる時、必ず挨拶をします。
自分は所属する大地の守り人だという自覚がある彼らは、こう言います。
「私が一緒にいるので大丈夫です。この者たちは危害は加えません。お護りください」と。
手付かずのジャングルを歩き、時折足を止めながら、CJの話を聞きました。
植物のことや、彼の今までのストーリーや、そんな内容だったと思います。
私は、1人タイムスリップした気分になっていて、ここで暮らしていた人々のことをイメージしていました。
1人、森の中で過ごさなければならなかった成人の儀式(イニシエーション)。
心細かっただろうか。真っ暗闇の森の中、何を感じ、何を見たんだろう。
ああ、この根の部分から盾を作ったんだ。
今私たちが聴いているのと同じ、鳥のさえずりを彼らも聴いていたんだな。
人々はどんな会話を交わし、何に笑い、何に泣いたんだろうか。
現存する中で、地球最古と言われるこの一帯の熱帯雨林。
気が遠くなるような月日を、この森は生き、命を繋いできた。
天の意志を地におろし、人の意志を天に世界に放ってきたトランスミッター。
想いと息吹が満ち満ちるここで大切なのは、何を受け取り何を放つのか。
美しさ、聖なるものを秘めた、そのまんまの自分であることではないかと思います。
夢も現実も、境がなくなる空間。
この悠久の森に比べたら、私たちの人生はあまりに儚い夢。
でも、1人1人が地球と協奏する大事なインストルメント。
短く儚い夢の間に、たくさんの美しいハーモニーが生まれますように。
CJ、有難う。