本来の輝きを放つために、日常でできること

  2021/08/15  やまと精神

前回のブログで、祓うことについて書きました。

1人1人が発信器であるという自覚

 

「祓う」って神道の行為だから、ちょっと非日常的ですね。

邪気祓いといったような、悪いものを取り除くことを連想しますが、私の中では澄みやかに晴渡らせるゼロに戻るというイメージで使っています。

(若い頃から縄文やアボリジニなど原始的な文化に惹かれ、次第に日本の素晴らしさに目覚める中で出会った古神道の概念がしっくり馴染むので)。

祓うには「払う」と「張(ら)う=張る」の二つの意味があって、後者は「水を張る」のように、自然と満たされてゆく様を表すのだそう。

私たちは、自分にとっての快不快や、凝り固まった価値観で判断しがちですが、本当の意味で何が必要で何が不要かは実は分かりません。

祓ってリセットすると 必要なものが流れ込み、不要なものが流されて、本来の姿が現れてきます

だから、リセットを心がけたら、最適化されてゆくのに委ねましょう。

 

 

「祝詞(のりと)」をあげるなど、日本には伝統的なお祓いの作法がありますので、それは専門の方にあたっていただくとして。。

今日は私が日常で行っている感情のリセット(ゼロ化)について書きたいと思います。

それは、わいてきた感情や感覚を止観して、言葉に置き換えることから始まります。

え?嬉しいとか、悲しいとか、いちいち言葉にしなくてもわかるでしょ?

と言われそうなのですが、実は何となくもやーっとするとか、ざわざわするとか、重たいとか、鳥肌がたったとか、結構 反射的に出てきたものを、そのまま流していることが多いんですよ。

言葉にするのは、客観視して、認めてあげる作業です。

例えば、どうも苦手な人がいるとして、「この人といると、何かいつもどんよりする。。」と気づいたら、ストップをかけて、その状態を表現するのにふさわしい言葉を探す。

天分美ジネス実践サークルのメンバーであるめぐみさんが紹介くださった NVCの感情リストに、たくさんの形容詞が載っていて参考になります。有り難うございます。

どんよりの正体は、「苛立ち」かもしれないし「嫌悪感」かもしれない。

ぴったりくる言葉を見つける必要があります。

なぜかというと、感情や状態を言葉で表す=名前をつけて認めること。名前がつくと、存在は姿を現し、向き合えるようになるからです。

感情や状態に振り回されるのは、得体が知れない相手と対峙しているようなものなんです。

 

最近、居合道のお稽古を始めました。見えない相手(自分の心)に対峙し、毎瞬リセットする訓練になっています。倉持先生、皆さん有難うございます ✨

 

そもそも感情や感覚は、命が私たちを生かすための反応でもあります。

「ああまたネガティブなことを思ってしまった」と責めたり、なかったことにするのでなく、認めてあげると、向こう?も報われて昇華されます。

もしも何度も出てくる手強い思い癖や感情だったら、認めたあとに「では、本当はどう在りたいの?」と自らに問いかけてください。

先ほどの例だったら、「本当は軽やかな気持ちで交流したい」のかもしれないし、逆に「関わりたくない」のかもしれない。

かっこつけずに、「本心」を見つけるのがポイントです。

なかなか難しいのですが、自分がもう1人いるイメージで聞いてみます。(子どもは、こんなステップを踏まなくても、本心とつながっているからあんなに元気なんですね)

本当はどう在りたいのか見つかったら、次に「どうすればそう在れるのか」まで視野を広げましょう。

このステップには「階層」という概念が役立ちます。次元と言っても、区分けと言っても良いかもしれません。

平安時代から800年間宮中祭祀を司った、白川伯王家の宇宙観によると、人間は「体」「情」「魂」「霊」「神」という、5つの階層によって成り立っていると言います。

…………………………..

第5階層:・宇宙

第4階層:・社会(「神」と「魂」をむすぶ(産霊)働き。モノや情報にあふれる現代は「神」以外とも結ばれやすくなってしまっている)

第3階層:・仲間(家族・社員など)

第2階層:・他者

第1階層:・私

…………………………..

私たちは、たいていの場合、体調や私欲に振り回されたり(第1階層)、他者との関係性などで情に溺れたり(第2階層)を繰り返しています。

でも、ふっと立ち止まって、今 自分はどの階層にいるのか冷静に把握できると、「魂」が「神を迎える器」という本来の働きを始めるのです。

先ほどの例でいうと「この人といるとどんよりする。。」って第2階層ですね。

もし、宇宙(第5階層)まで心をたかーく持っていったとしたら、どんな気持ちが湧き上がるでしょう?

「この人は、自分の価値観に基づいた態度を取ってるだけなんだよな。そもそも私が正しいわけじゃないし、違って当然だよね。本当は、会っても普通に交流したい。」

「だったら、どうすればいいのだろう?」

。。「自分が正しいというおこがましさを捨て、存在自体を尊重するように努めよう」

そんな風に、ちっぽけな囚われから解放されて清々しく浮かぶ言葉が、「どんより」が伝えたかった第5階層からのメッセージなのですね。

この気づきは特定の相手のみならず、全ての事態において自分の思い癖を正す助けをしてくれます。

 

ケアンズの風物詩ケーンファイヤー。サトウキビ畑を燃やすので一帯が煙でもくもくに。アボリジニの長老さんがしてくれた、煙の浄化儀式を思い出しつつ、走り抜けました。

 

日々色んなことが起きて、色んな感情がわくのは当たり前。悲しみも喜びも味わうのは人生の醍醐味でもあります。

けれども、状況、情報、他人に振り回されることなく、自由自在に5つの階層を行来できたら、私たちはもっともっと、本来の輝きを発揮できるようになるでしょう。

それは、ただの乗客であった状態から、自分でハンドルを握って人生を進む運転手への切り替え。

望ましくないと感じる状態にあるとき、人や周りを責めるのでなく、その原因を引き受けて、主体的に解決できるという安心感への転換です。

良かったら試してみてください✨

 

やまと精神

Related Posts

[insta-gallery id="1"]