太古と未来が交錯する真ん中で。アボリジニの壁画と祈り
2019/05/16 アボリジニの聖地・教え, ケアンズ・ソウルジャーニー
雨季の間、水に浸る下界を離れ、人々はこの崖山に身を寄せていたと言います。
繰り返し昇る太陽と、雲の間から顔を覗かせるきらめく星、満ち欠けする月、轟く雷、降り注ぐ雨を、日々、共に見つめていたことでしょう。
悠久の時を経て。。岩に重ね重ねてストーリーが描かれていきました。
その絵を前に、人々は遥か昔の大地と瞬時に繋がり、ありありといき続けるご先祖様のスピリットを感じながら過ごしたことでしょう。
子孫に伝えるべきことを夜な夜な語り合ったことでしょう。
過去と未来が交錯する、今というこの一瞬に生きたことでしょう。
自分がどこからやってきて、どこに向かっていて、どこに属しているのかを知っていた時、人々は満たされていた。
大自然への祈りの心を持たなくなってから、時空は交錯しなくなってしまった。
繋がりが絶たれ、未来は見えないものに。
ご先祖様のスピリットの不在は、自分のアイデンティティのぐらつきに。
恐れや不安、不信の中、自分と他者をつなぐものとして、お金と契約が生まれました。
本当の自分と、その自分と人と、全ての命あるものとの信頼を取り戻すために、私たちは再び大自然と繋がらなければなりません。
それは、謙虚な祈りという行為から始まります。
自分を空虚にし、開いて、周りに満ち溢れる「気配」と繋がる儀式。
全てを生かそうとする智慧、力と繋がる儀式。
祈りは、お願い事や救いを求める行為ではなく、満ち満ちる崇高な「息」吹に「乗る」こと。
全てと一つになり、源の意識に還ってゆくことです。
人によっては、踊ることかもしれません。歌うことかもしれません。描くことかもしれません。
無心である時、感謝が自然と湧き上がっている時、私たちは祈っているのだと思います。
祈りから生まれるものは、歓喜や安らぎをもたらします。
大いなる息吹と繋がっているからです。
「紙」と聞いたら、誰もが「何かを書くための薄い物質」と想像できるように、文字は共通認識を持つのに便利だけれど、限定が入りますよね。(ブログで書きながら言うのも何ですが。。)
でも、音楽や絵や図形や、武道や華道などの作法は。。体感する中で、人それぞれ違うことを受け取れます。
自分の感覚以外、正解はない。そんなジャッジのない余白に、私は愛を感じます。
文字を持たなかったアボリジニの人々が描いた壁画はまさに、余白。
私はここで気の遠くなるような時を経て繰り返された、静謐な祈りの気配を感じ、その中に包まれていきました。
絵が何を伝えようとしているのか。解釈を求めるのは陳腐に感じるほど、リアルな存在を感じていました。
宇宙人(どう見ても人間ではないものが描かれています)、太古の時代、彼らに人としての役割と智慧を授けた存在(トートのような人物も描かれています)。。
文字がないから、議論の余地もなく。想像の世界が広がっていきます。
ご一緒した浅野さんがおっしゃいました。
「この壁画を見ていると、個性の異なる生命が楽しく共存していくことが、母なる大地を喜ばす道であると伝えているように思える」
もしかしたら太古の昔、ここでは肌の色の違いどころか、地球以外の星からやってきた生命体も一緒に過ごしていたのかもしれません。
もしかしたら、太古は未来なのかもしれません。
浅野さんの言葉を受けて、更なる祈りへ誘われていきました。
壁画は、ケアンズから車で北西へ 3.5時間ほど行った場所にあるLauraにあります。世界の壁画トップ10に挙げられ、UNESCOにも登録されています。
ケアンズ・ソウルジャーニーでは、年に何度か隠れた宝物を訪れ、自分や自然や異なる時空と繋がるひと時をお届けしています。今回の旅も、リクエストをいただいてアレンジしました。ご興味のある方は、こちらからお問い合わせください。