チベット体操での気づき。呼吸は、異次元を行き来する扉
2017/03/28 スローライフ日記
お店に立つ日が増えると、ブログを書く頻度が減って、他の仕事がたまってくるという。。体力をつけなければ、と思う今日このごろ。書きたいことは色々あるのですが、ちゃんと書こうと思うとまた先延ばしになってしまうので、今日は軽い日記を。
(ケアンズに関する記事連載のお話をいただいているので、このブログは今後、日記や考えを綴ることが増えそうです)
来月50歳になる今年、自分の中で勝手に節目と考えていて、「体を整える」を目標の1つにしています。
時間があるとプールで泳いだり。(水着も買った!)ヨガも興味があるのですが、決まった時間に教室に通うことが苦手&行かなくなる自分を嫌いになりそうで躊躇していたところ、お友達のSatoさんに「チベット体操」を薦めていただきました。
「始めた方たちからは、朝一シャン!となったり、元気で一日を始められるっていう感想をいただいてるわよ」と。決め手は、一度習いに行ったら後は家で自分で再現すればいいこと、体操の所要時間も5分〜と手頃なこと。あとはSatoさんご自身の、内側から輝いてる感じの秘密が、この体操だと知ったことでした。
教えていただいたのは春分の日でした。まだ1週間目なので体調の変化はわからないのですが、チベット体操はポーズは単純でも、深い呼吸をするので、朝の短時間で体内に新鮮な酸素が取り込まれている感じがします。
全身で息を吐いた後は、新鮮な空気が入ってくる。当然のことながら、入れるためには出さないといけません。これが生きることにつながる、ちょっとした発見でした。
ためこんだ感情、または知識、才能など自分の中にあるものを、全力で出し切ってはじめて、新鮮で新しいエネルギーが流れ込んでくるんだって、体でわかったのです。
吸い込みたかったら、まず吐く。より良い人生を送りたかったら、まずは自分が世界に対してオープンに、出し惜しみせずに生きることだって。
ただ、近くにいる人たちと空気をシェアしているから、自分の息遣いが周りにいる人にも影響する。ため息ばかりじゃ空気を濁します。逆に言うと、周りの影響も受けている。私たちは息を通して、感情や才能も交わし合っているのです。
「この人とは息が合う」とか「あうんの呼吸」という表現があるけれど、日本語はすごいなーと改めて思いました。(誰といても、どこにいてもご機嫌でいられる人間にはまだ遠い未熟な私。。必要以外で一緒に過ごすのは息が合う人だけです)
色々重なってパニック障害がひどかった時、息を上手く吸えなくて、ものすごい恐怖と闘いました。おそらく自分を閉じて、中のものを吐き出していなかったから吸い込めなかったのだと思います。実は未だに恐くなる瞬間がくるのですが、それは「吸う」とき。何かを受け入れることを恐れているんだ。。と体操しながらわかりました。
これ、今年のもう1つの目標にもつながっていて。それは「受け取る」こと。
申し訳ないと思う前に、素直に喜んで受け取れる可愛いおばさんになりたいんですよね。今まで「周りに対して何ができるか」ばかり考えて行動してきたので、過呼吸気味でした。
人はそれぞれ課題があって、それを乗り越える力を持っているのだから、その人の成長を止めてしまうようなことはしない。「私が何とかしなきゃ」という、おこがましい気持ちを自分の回路からなくそうと。今年に入ってから、変な気負いをなくして、受け取ることにフォーカスするよう努めています。
気持ち良く吐き出して、安心して吸いこめる自分を作りたいのです。
チベット体操を習っているときに「間」という漢字が頭に浮かんでいました。そのときは??でしたが、その後でぼーっとしていたら言葉とイメージがわいたので、意味不明かもしれないけど記しておきます。
背骨。。ある地点に到達する「間」。日々のていねいさが大切。
違う次元の「間」を行き来すること=自由自在、観自在。
「間」を舞え。自らを祝福する中で、呼吸とリズムを創れ。軽やかに舞うほど、未来が降りて来る。それは喜びなしでは到達できない。
自分の空間を持ち、人の空間を尊重し、人と人の「間」をただよえ。
間のダイナミクスを、異なるディレクションから観よ。
間合い=真愛。自分のエゴを消し、相手と一体化すること、真我どうしの再会。
手を取り合い、回るダンスを踊れ。
和(輪)の中の光が、ダンサーを照らしたがっている。喜びながら踊るだけ。次々に降り注ぐ、光のシャワーを浴びよ。
リズムが合う人と踊るとき、大きく眩い光に、溶ける。そして他を照らし出す。
人間含め、色んなレベル/空間/次元が同時に存在しているのだけれど、周りと自分両方をゆるし、楽しみ、リスペクトしたときに、自由に行き来ができるようになって、喜びが広がっていく。。そんな心地よい空想の中にしばし浸っていました。
いかに効率よく目標に向かって直線的に進むか(または逆算するか)という考えとは対局の、間を楽しむ、ゆらぎ&漂い感。そこには、まだ到達できてないという焦りはありません。踊ってること自体が嬉しいから。
「簡単なポーズと呼吸ですが、動的瞑想でもあるチベット体操はカラダだけでなく、知らず知らずのうちにココロとイシキにも影響をもたらしていきます。」とSatoさん。それで、このような空想が浮かんだのでしょう。
自律神経の働きで寝ている間も息はしているけど、同時に自分でコントロールできる体の機能は呼吸だけ。呼吸が、意識と無意識という異次元を行き来する扉のような気がしてきました。
息は止めたら死んでしまう。できる限り清らかなインプットとアウトプットを循環させ続けることが大切。(ブログもアウトプットですね。)
自ら奏でる曲(吐く息)が変われば、輪に入る人も自然と変わる。より良い社会をつくるために、息の合う人たちと輪になって踊りたい。つながっていきたい、と願います。
軽い日記にしようと書き始めたのに、思わぬ着地点になりました。。体を整えようと教えていただいたチベット体操のお陰で、生き方に関しての発見があり、感謝です。Satoさん有り難うございました✨(あの時謎だった、私の中の「間」の意味がお伝えできて良かったです・笑)
追記:
ブログを読んだSatoさんからいただいたメッセージが更に学びになりました。
「けいこさんの、間~~~~の受け取り方も深い 私は、以前から私の師匠から、物事の間を取れ、言葉と言葉の間を読め、もっと間抜けになってあそべ~~~(真面目→間締めを開いて自分のハンドルにアソビを作れ)としょっちゅう言われてたので、体操のあと「間」とけいこさんが言った時はそれを思い出していたんです」
間締め!日本語すごい!やっぱりゆるくなった方がいいんですね。そういえば、「人間」という言葉も人と人の間。1人じゃ人として生きられず、他の人がいるからhuman-beingでいられるということかもしれません。
この後、畏れ多いビジョンとメッセージがSatoさんを通して私に伝えられました。(伝えるように促されるのは前代未聞だそう。彼女はチャネラーでもあります。)聞いた後、しばし動けなくなるくらいの内容。。これから出勤なので、今夜ゆっくり消化します。