雨を楽しむ子どものように
2017/01/08 幸せのヒント
やっと雨期らしくなってきたケアンズ。
昨日は家を出るとき快晴だったのに、夕刻どしゃ降り。ずぶぬれになって帰りました。コンピューターが濡れないようにバッグのファスナーを閉めたら、もうどうでも良くなってきて、雨に打たれている自分が可笑しくさえなってきて。
にわか雨のことを、英語でシャワーと言います。シャワーを浴びてると思うと、気持ちいい。
小さいころ「雨にあたると禿げる」(公害のせい?)と言われていて、傘を忘れるのが恐怖でした。
ケアンズに来て間もなくのころ、ふざけてホースの水を浴びせてきた人がいて、すっごく腹が立ったんだけど「何でそんなに怒ってるの?ただの水じゃん」と言われて、確かに何で濡れるのがこんなに嫌なんだろうって考えると、子どもの頃の教訓から。でも、周りを見てみると、雨でも傘をさしているオージーはほとんどいません(笑)
うちの子達も、ざんざん降りの雨になると、喜び勇んで外に飛び出したものです。道路に水が流れるのが面白くて、ばちゃばちゃ遊ぶのです。草の上でスライディングしたり、もうほんと楽しそうに。
嵐の時も、上を向いて口を開けながら走り回り、雨を飲み込んでキャッキャッと笑い合っていたのを思い出します。
。。
うーん、雨、楽しいかも。
雨が不快なものって決めていた自分は、かなり窮屈でした。
日本で雪を初体験したときも。子ども達は裸足で外に飛び出して、雪を触ったり投げたり、夢中で遊んでいました。
ストーブのある温かい場所で、しもやけになりそうだ。。と思いつつ見ていた私は、やっぱり、自分が思い込んでいる快不快が、自分をつまらなくしてるなあと思いました。
あれから、時が経ち。。
子どものように純粋に楽しむまでは行かずとも、
全てがシンプルで、大らかなケアンズで暮らすうちに、
起きている事象を、そのまま
受け入れられるようになってきました。
美しい川に出会ったらTシャツのまま入ってしまうし、にわか雨が降ると、車もきれいになってラッキー!と思えます。ゴチャゴチャ考えなくていいので楽です。
ケアンズにいると、もうすぐ雨がやってくる、とわかります。
視界を遮るものがなく、遠くまで見えるから。
「わ、あそこは今ずいぶん降ってるな。」なんて、空のドラマを俯瞰して見ると、快も不快もなく、ただただ壮大な自然のムーブメントがあるだけ。
日本だと、電車に乗ったり、人と会ったりしないといけなくて、簡単ではないかもしれないけれど、「嫌だなあ」とか「困った」とか、余分な感情を持たないだけで気持ちが軽くなると思います。
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最近、何人かツアーを催行しているオージーと話したのですが、「暑いし、雨が降るしお客さんをガッカリさせたくないから、雨期の間はツアーお休みだよ。」と、どこか嬉しそうでした。
自然のリズムのまま。
冬眠する熊みたいに、雨期の時は休む。そういう気負いのないところが私は好きです。
何だかんだ言っても、人間も自然の一部。
リズムに逆らうことなく、その中でできることをすればいい。
こんな「ゆるさ」を、日本でガムシャラに頑張って、疲れている女性たちに体験していただく旅を今年こそクリエイトします。
ぱんぱんになっている頭を空っぽにして、ケアンズの大自然に抱かれながら、自分と向き合う旅。。昨夜、日本と電話ミーティングして、アイディアを深めました。
年末のブログに書いた通り、今年は自分のオリジナリティを大切に、色々なことをクリエイトしたいと思っています。それは自分を喜ばすことなんだけど、結局、わたしは、自分が創るものによって、関わる方々との笑顔の循環を起こしたいのです。そんな気持ちも込めて、ブログのタイトルを変更しました。
濡れることが嫌で、雨を敵にまわしていた昔。
ケアンズで人生の半分以上を過ごし、今は自然と寄り添うことを知って、軽くなった自分がいます。
雨は、天からの美しい恵みだと感じられるようになりました。
自然も、そこに生かされている自分の命も愛おしいと思えます。
自然回帰 = 母なる大地への回帰。
=子どものような輝く心を持った自分への回帰。
全てはつながっています。
ケアンズを、安らぎと気づきのデスティネーションとして確立したいと本気で思っています。
旅の企画は、「グレートバリアリーフと、世界最古の森に抱かれたケアンズ」での体験を通して、たとえ都会にいても、”地球と自分を想いやる生き方を選ぶ女性”を増やす気持ちで取り組みます。
雨を楽しむ子どものように、心軽やかにケアンズで遊びましょう!