2021年 明けましておめでとうございます
2021/01/04 幸せのヒント
激動の2020年が幕を閉じました。
みなさま、どのようなお正月をお過ごしでしょうか?
日本は大変な寒さと聞いていますが、ここケアンズは、雷雨、照りつけるような日差しが交互にやってきて、重く湿った空気と暑さは相変わらずの、ザ・熱帯!な年明けです。
オーストラリアは、クリスマスがセレブレーションの主流で、お正月は新しい年に切り替わったくらいの扱い。1月2日から通常営業が多いです。
思えば、こんな新年も、もう28回め。
年を経るごとに、厳かな除夜の鐘の音ですとか、お正月の晴々と透き通るような、ゆったり祝福に満ちた空気などが恋しくなっています。
いつもの年末は、一人でそんな日本の雰囲気を反芻しながら、ゆく年を振り返ったり、くる年に思いを馳せるのですが、今回はサークルのみなさんと、オンラインでシェアしあっただけでした。
(パンデミックの中でも、新たな方向性を見出したり、お仕事に邁進されていたり、豊かな出会いがもたらされている、またはこんな状況だからこそ気づいたことなどが話題になりました。)
大晦日は、ちょっと僻地に行って、キャンプファイヤーをぼーっと眺めていて。
炎が燃え盛ったり、鎮まったり、ゆらゆら揺れてるのを、ただただ見てました。
カカカカかカー と、鳥が川の上をすうっと横切っていったり、真っ白で足の長い水鳥が身動きもせず、渡橋の上でたたずんでいたり、ワラビーがぴょんぴょん草むらに姿を消していく。
ユーカリの葉が、風と踊っていました。
1年の境目という、(近代の)人間が決めたルールなんて関係なく、生の営み、命のゆらぎは変わらず行われています。
過去に起きたことに囚われてもいないし、未来に期待や不安を持つこともない。
ただ、「今」の満ち足りが、そこにありました。
汗と砂埃にまみれた身体で、お気に入りのお酒を少しいただいているうちに、色々とどうでも良くなっちゃて。
風にあおられた煙をわーっと浴びた時も、いつもだったら「煙いのいや!」ですぐ避けただろうけど、浅草寺の常香炉を思い出して「浄化してくれてるのかな」なんて楽しく感じたり。
スコールがやってきた時も。
いつもだったら「勘弁してよ」と不快になるところだけど、ずぶ濡れになって「今度はみそぎ?」と、笑ってしまう自分がいました。
出来事は、向こうからやってきます。
2020年の年初、感染症で世界中が変わってしまうなんて、誰が予想したでしょう。
出来事を「どう」受け止めるのか、という自由意志は、天からのプレゼント。
出来事に善悪のレッテルを貼ったり、意味づけしたり、抵抗するよりも、どうつきあうか。
本来の感性は、ゼロの時に蘇る。
こうするべき、これは良くない。。いくつも自然に出てくる概念をリセットした瞬間、とても軽やかになれるのですね。
ずぶ濡れになって、嘘でしょ?と思いながらも、笑ってしまった自分。
はるか遠くに見える雷の閃光と、360度見渡せる空が一瞬 真っ白になる様を、恐怖でなく、畏敬の気持ちで静かに眺めていた自分。
なんだかそれは、しっくりくる自分でした。
本来の感性を日常で呼び戻せたら、世界がもたらすできごとと、自分の真実をしなやかに結び直すことができます。
これは、人間にもたらされた希望ではないでしょうか。
怒ったり、悲しんだり、恐れたり、絶望したりする、もっともっと奥の神聖なところに、満ち足りた あなたがいる。
いるんです。
表面でなくて、深遠な存在として、お互いを観ようと務めたら、世界は平和になるでしょう。
この満ち足りた場所〜 源〜 からもたらされる感性で、1人1人がクリエイションを行ったときにできるのは、地球の楽園。
だから私も、過去から培った概念、未来への不安がない自然界のようにクリアな心持ちで。
人間に授けられた「想像力というギフト」を使って、なりゆくことを楽しむ年にしたい。
今日はこれから、想像を紙にしたため、刻印したいと思います。
(書き初めみたいな感じですね)
2021年、みなさまにとって、ご自分の道を進む実り多き年になりますように。
今年もどうぞよろしくお願いいたします✨✨