自己肯定感の低さと罪悪感について
2017/08/23 幸せのヒント
バランスを取ろうと頑張るな。
左が重くなったからと右にものを足す。右が重過ぎるから減らす。。バランスを取る慌ただしさに、心を奪われることなく。
偏りのあるシーソーでも、真ん中にあって、成長する存在であれ。
情熱を注ぐべきは、いい人であることでなく、あなたであることだ。
そんなメッセージが浮かんだ今夜は、とても特別な新月だそうです。
眠過ぎて、ぼーっとした1日でしたが、パウチ(運営しているショップ)には嬉しいご来客も。ここ最近、今の私が向き合うべきテーマが色々な方を通して現されています。
それは、「受け取ることに対する罪悪感」と「自己肯定感の低さ」。
生命の樹カウンセリングで、人様には「受け取りの法則」のお話をしていますが、自分もまだまだ根強く「いただくのは申し訳ない」という気持ちが残っています。また「私だけ受け取っては申し訳ない」という想い癖もあります。
心のどこかで「私なんかでいいんだろうか」と自分を卑下しているから、堂々と受け取れない。
GIVEをずーっとやってきたので、それが自然になり過ぎて、受け取り方がよくわからない。「有り難うございます」の前に「すみません」と恐縮してしまう。
「君は自分を過小評価している」とさえ言われて、自己肯定感の低さってどこから来ているんだろうと考えてみました。
。。。
それで気づいた意外な事実。人によって原因は様々だろうけど、褒められて育った私の場合「自分を低く設定しておくとラク」という気持ちが引き金になってました。
拒否されたとき、受け入れてもらえなかった時に、傷つかなくてすむ。「こんな私だから仕方ない」という自分への言い訳。要はかっこ悪い自分が嫌だということ。
この年になって!かっこ悪いこともたくさんしてきたのに!まだ勇気を出せてない自分がいたなんて。
同時に、自分をなかなか肯定できない自信のなさは、”自分が何かをした”という達成感が少ないことから来ていることもわかって。
今までどんなことしてきたんだろう?と振り返ってみたら、どれだけ今まで周りの方に助けられてきたのか浮かび上がりました。本当に驚くほどに。
守られて、与えられて、生かされて今の自分があることを知ります。
すると、ご先祖さまから始まって、家族、周りにいる人々、取り巻く環境全てに対する感謝がわきあがりました。自分に自信がないとか、自分は何を成し遂げたのかとかそんなことは飛び越えてしまった。
ありのまま生きる=全てを受け入れた中での感謝がベースにある、自尊心を表現する生き方なんだと思いました。
「これが私です」って堂々した在り方は、自意識過剰なんかじゃない。
奇跡のような確率でこの世に生まれた、いるだけで愛されている存在の自分の命を、丸ごと受け入れている状態。
尊い存在の自分が、等しく尊い誰かと、
お互いにできることを差し出したり、
受け取ったりしてエネルギーの交流が生まれる。
そうイメージしたら、受け取ることに対する罪悪感も消えていくのでした。(想い癖なので、出てきたら意識して外します)
数ヶ月前から企画を始めたオリジナルツアーは、準備が進むにつれ、色々なバランスが重要になってきました。ビジネスは周りとの関係の中で成り立つのだから当然のこと。
今回、自己肯定感に対する気づきを経て、「私でいいの?」から一歩進んで、「私だからできる」シンプルなメニューも増やしてみようと自然と思えました。
ここでもう1つ気づいたんです。
バランスが取れているのがいいことだと思っている自分。常識的な大人であろう、良き親であろうとしている自分。それが、時に自分らしさの表現を止めさせることがあるって。
そろそろ、そんな枷を外すときが来ているのかなあ、と感じます。
急にぶっ飛んだ行動を始める訳でもないだろうし(笑)、見かけ上は変わらないだろうけど、頭で考える予定調和的なものを意識的に外していく。
素直な自分から出るものは、
自然と周りと調和するという信頼を持つ。
自分への信頼は、生かしてくれている
大いなるものへの信頼に他ならない。
だから、常識的な人になろうとして
バランスを取ることに心をくだかない。
自己肯定感を上げるために必要なのは、感謝と、自分と他への信頼と尊厳でした。
1人1人が、本来の自分をハッピーに生きたとき、この世がヘブンになる。
書きながら思い出していたのは、ロビー・ウィリアムズが自分の子どものために書いたというこの曲です。
I love my life
I am powerful
I am beautiful
I am free
I love my life
I am wonderful
I am magical
I am me
I love my life
私はわたし。自分の人生を愛している。。そんなことが言える人でありたいですね。