ご無沙汰してます。

  2021/06/07  スローライフ日記

前回のブログからずいぶん時間が経ってしまいました。急展開で引越しをしまして、少しづつ落ち着いてきたところです。

さよならしたのは、仕事と子育てで忙し過ぎて、ちょっとこんがらがっていた時期に、自分の居場所が欲しくて出会った場所。

海が見えるバルコニーでゆったり過ごしたい、という願いを叶えてくれた場所でした。

ほぼ毎日ビーチでアーシングして、週に何度か自分のお店に行って、リクエストをいただいたらツアーをしたり、ウェブサイトを制作したり、時間の制限もないリトリートにきているような日々。

頑張って仕事したくても、なぜかゆるんでしまい、あまりプロダクティブではなかったけど、胎内の中で浮遊しているような心地よさを存分に楽しみました。

で、このままぬくぬくして歳をとってもいいのかな?と思い始めた矢先、私の部屋は観光者だけに貸し出す方向にするというお達しがでたんです。(リゾート内に長期滞在してました)。

想定外のできごとで、さあ大変(汗)

 

最後の朝。朝日を浴びながらチベット体操をするのが日課でした。

 

物件探しや梱包で疲れたのか、全身じんましんが出たり、嘔吐が数日間続いたり、今まで大人しくたまっていたものが一気に外へ。

引越し以外に並行していることもあり、振り返るのも嫌なくらい、この1ヶ月は心身ともに尽き果てました。。

肉体労働はある意味さわやかな疲れでしたが、一番消耗したのは、仕分けだったように思います。

もう必要ないとわかっていても、モノを見ると色々な思い出が蘇ってきてしまって。

あの時あの人からこんなシチュエーションでいただいたなあ、とか、あの時はすごく気に入って買ったんだった、とか。

処分に骨が折れるのは、モノ自体に執着しているのではなくて、付随する思い出や感情が消えてしまうのが怖いからかも?

時の重みをしっかり受け止めて 劣化したモノ達が可視化してくれたのは、この空間で過ごした輝く日々。(普通のなんでもない日も、辛いことも含めて)。

大自然や人々から大きな恩恵を受けて、私は確かに生かされてきたんだ、とずしーんと感じました。

。。区切りをつけると、さもない日々が感謝に昇華されるのですね。

終わりがあるから、ものごとは美しいのかもしれません。

実際は感傷にひたっている時間もなかったので(笑)、有り難う!と声をかけて、軽トラ1台分くらいのモノとおさらばしました。(あまり物持ちではないと思っていたのに、びっくり)

今の自分にふさわしいモノだけ残して、次のフェーズの幕開けです。

 

最終日、虹をくぐって次の場所へ。

 

鳥は高く、そして遠くに飛ぶために、身体を軽くします。

人間の身体だって、入れたら必要な栄養は必要なところに使い、余分なものは出し、新しい細胞を産み出し、と淀みなく新陳代謝を繰り返すようにできている。

本来あるべき姿は自然が教えてくれているのに、なんで私たちは貯めようとしてしまうんでしょうね。

お金もモノも。。ないと困るという不安がぬぐえない。

逆に言えば、「安らぎ」がほしいわけですよね。

それなのに、余分なモノに囲まれた暮らしは、管理の手間や、なくす恐怖がつきまとい、安らぎの反対の境地にいってしまうというパラドックス。

始まりの想いと、終わりの想いは一致するというのが自然の摂理だから、動機が不安であれば、結果も不安になるということ。

簡素に潔く、満たされた気持ちで生きられたら、どんなにいいでしょう。

 

さとうきび畑を抜けるドライブともお別れです。

 

今回は、個人的な話となりましたが、パンデミックで生活が一変した方は、世界中に数えきれないほどいらっしゃいます。

地球規模の破壊と創造の時期に、私たちはいます。

まっさらとなったキャンヴァスにどのような絵を描いていくのか。それは1人1人にかかっている。

不安が渦巻く世の中だけれど、心の聖域を守る空間を創造することはできます。

自分のサンクチュアリで、安心や楽しさや、それぞれの価値観にみあった暮らしを作り、それが反映された仕事や世界観を創っていく。

それが、求められている気がします。

何気ない日々を支えてくれている全てに感謝を忘れずに、できるだけシンプルに身軽に。

モノは手に取ることができなくなっても、美しい思い出となって今の自分を作っていて、空(くう)の豊かさがサンクチュアリを創ります。

皆さまも、どうぞお体に気をつけて、心安らかにお過ごしくださいね。

 

スローライフ日記

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