七夕と北極星
2020/07/07 やまと精神
今日は七夕。
昔々、笹の葉に、願い事を書いた短冊を吊るしたことを懐かしく思い出します。
関係ないのだけど、この1週間くらい「北」が気になって仕方ありませんでした。
発端は、ターコイズ色の水を見に南方面に行ったこと。
ケアンズからハイウェイを南方面に下るのと、北方面に上るのでは、同じように綺麗な山があってさとうきび畑が広がっているのに、受け取る雰囲気が全然違ってて。
個人的には何故か北に惹かれるなあというところから、ケアンズがある地域が、英語で Far North Queensland(クイーンズランドは州名)と呼ばれてきたことを思い出しました。
(観光局は、昨今Tropical North Queenslandでブランディングしてます)
。。Far Northー「北の果て」ってなんかロマンを感じる!と勝手に盛り上がり。
同時に北つながりで、サイキックの知り合いの方が、私の目を見て浮かんだのは「北極星」と言われたのを思い出しました。(なぜかは謎)
北極星は、不動の星であることから、船乗りや探検家にとっての目印であり、
星々が北極星を軸に動いていることから、宇宙の中心=本当の自分に還る道しるべであるとも考えられているようです。
私たちは、大きな大きな宇宙から分かれて、この地球に降り立った存在だから、細胞の一つ一つは星のかけらかもしれない。
曇り空でも、朝でも、見えなくても、普段、気にかけていなくても、私たちの中心に構えて星のかけら達を司る存在が北極星。
それは、揺れたり動いたり、自由に旅していいよ、と言ってくれる拠り所。
天空を見上げた、北の果ての果ては、きっと全てが溶け合うワンネスー根源の世界なのでしょう。
この数日、暮らしをクリエイティブにしたいという想いが一層強くなっていて、同じようなことを考えている友人(何故か4年ぶりに会うことになった)と話が盛り上がったり、情報をもらったり、理想のイメージを壁に貼ってニヤニヤしてたり。
日本食レストランのオーナーさんから、店内の雰囲気を変えたいとご相談いただいて、インテリア系ショップを何軒も回って「やっぱり空間を創るの好きだなあ」と再認識したり。
図らずしも、本来の自分が顔を出していました。
北極星が計らってくれたのかな?
久々にブログを書こうと机に向かったところで、今日は七夕だったと気づいて、織姫と彦星が年に1度出会うという中国の神話の他に、日本独自の捉え方はなかったのか、調べてみたんです。
すると、冨山喜子さんの喜びの種★というブログに
弥生と呼ばれる時代の古代日本のタナハタは、
ご先祖さまとのつながりを思い、アメに心を通わせる大切な祖先祭りです。
とありました。アメというのは天のこと。弥生時代には、既に七夕祭りがあったのです!
北の星は、宇宙の源、アメミヲヤの位置と考えられていました。
縄文の宇宙観。
地球、太陽系は、キタのホシから降されるアメミヲヤのハラのウチ。
天の川銀河のハラの内です。
クニタマ(地球)を取り巻く宇宙がタカマのハラなのです。
漢字の高い天の原、では至れない縄文哲学がヲシテ(文字形)によって感じられるのです。タナハタマツリは、ヒトの生誕の不思議を知り、誕生を祝い感謝する行事。
人体のそもそもの源であるタマシヰのタマ(ヒトの意識)が、
大宇宙の中心から降され(緒と)、ヒトが人体に具現して地球上に生まれ出でくる。
クニタマ(地球)で母のコミヤ(子宮)に宿ったコタネの成長がある程度(五ヶ月)に達した時、
アモトから降されて来たタマがコタネと結び、やがて誕生する。
先祖から連綿と引き継がれてきた人の生命とは、まさしく不可思議なものとして祭祀します。
願い事をする現代とは違って、七夕は命を感謝する日でした!
最近、急に意識に上がってきていた北極星の存在、命との関わりを、いにしえの宇宙観が確かなものにしてくれ、心が震えました。
宇宙ーー北の中心から降ろされた私たちは、
星のきらめきを携えて、この父母を選び、この時代を目掛けて、この肉体をいただき、赤い大地に降り立った。
果てしなく遠い夜空に光る星と呼応して、
この大地の上で一隅を照らす存在であれ。
北極星を見つめよ。
星々(細胞)の動きを、そのダイヤルに合わせよ。
身体をそのために使われよ。
伝えてくれているのは、お星さまになったご先祖様でしょうか?
こんな暮らしがしたい。。その願いの奥にあるものは?
夜空の北の果てに思いを馳せながら、深く自分に潜っていくような。
天から降り注ぐ何かを受け取って、渡して行きたい、そんな情動が湧く。
。。不思議な夜です。