日本語を話せる幸せ。

  2020/05/23  やまと精神

ショップで扱うココナッツオイル、いつもは発送していただくのですが、ふと「取りに行こう」と思い、車で片道約1時間、熱帯雨林とブッシュを抜けて、作り手さんKaiziの所を訪れました。

 

 

周りはほとんど何もない乾いた場所に、ポッと現れるオアシスみたいな一画。

奥さんのニッキーと、初対面の娘さんハナが出迎えてくれました。ロンドンからギリギリのタイミングで帰国できたという彼女、自信にあふれ、真っ直ぐな瞳が印象的です。

先住民の血(Kaiziはアイランダー)をひく彼女の話は、色々考えさせられることが多く。

ロンドンで英語を教えた時、教科書の設定が、植民地での白人の暮らしだったのが、変だと思ったこと。(非支配層を祖先に持つ子どもたちに教えてたわけですから、確かにダークです)

以前の勤め先は、監獄に入る前の一時預かり所で、あまりに多くの先住民の若者が繰り返しやってくるので、何とかできないかと真剣に考えたこと。(監獄の暮らしが快適なので戻ってきてしまうそう)

フィジオセラピストという本業の知恵を生かして、先住民の若者の健康管理に何かできないかと、ラグビー団体と提携して運動を勧めたけど、持続的でなかったのでやめたこと。(ラグビーに興味がない子もいるから)

。。知らない世界を垣間見させてもらいました。

今は、たまに先住民の青年たちを連れてきて、畑仕事をしたり、ココナッツオイルの作り方を見せたり、ちょっとした時間を過ごしていて、ニッキーもその活動を続けたいと。

「父親を知らない子もいるし、昔の長老みたいなロールモデルがいない。どうしていいか分からないのよ。」

 

アイランダーの伝統的な踊りを見せてくれたダンサーさんと。

 

「私は、教育が問題だと思ってるわ。だって、自分たちの言葉を喋らせてくれないんだもの」

ニッキーは、昔、子ども達の学校にかけあったけど、英語とイタリア語しか認めないって却下されたと言いました。彼らのエリアは、イタリアからの移民が多く、力を持っているのです。

日本では、自分たちの伝統的な言葉を学校で習うの?と聞かれて、当たり前に、国語も古文も習ってたし、今日本語を話せていることってラッキーだったんだと気がつきました。

言葉が失われた時、文化も失われる。

自分の言葉を話せないことは、自分を創っている全てが色あせてしまうような感覚かもしれない。

身体の中を巡り、自分を通して外に向けて、気持ちや考えを発する手立てである「言葉」がいかに大切か。

自分たちのルーツを感じながら生きることが、どんなに大切か。

。。完全に侵略されたことがない、日本人の私たちはこの感覚が薄れていないでしょうか。

 

昨年の夏、長野で初めて見た「手筒花火」。

 

その日の夜、うたた寝していたら、とても小さかった時の自分がでてきたんです。

私は長女で、大人しい子でした。下の兄弟が活発で「お母さんに大変な思いをさせないように」と気を遣っていて。

本当は、知らない所を探検したり、未知のことを知るのが大好き(本が読みたくて、誰よりも早く字を読み書きできた)。好奇心いっぱいだったんだけど、「お母さんに迷惑や心配をかけてはいけない」と勝手に思い込んで、なんか小さくまとまってた。

それなのに、生存確率50%の手術を受けたり、足を切断するかもということになったり、逆に心配をかけました。

夢の中の子が言うのです。

あなたは、お母さんを守りたくて生まれてきたんだよ。でも背負わなくていいの。

あ、そうかもしれない。何とも自分が健気で、涙が出てきました。

それに、あなたは成長したら

実のお母さんだけじゃなくて、みんなのお母さんである「マザーアース」を守りたいと願ってたでしょう?

(この子にどこから来たの?と聞いたら、初めて聞く言葉で教えてくれて、検索したらありました。星の名前だった。)

えっ?とうたた寝から覚めました。

 

ケアンズでサムライギャラリーを営むジョン(左)のイベントで。日本人より日本人ぽい方です。

 

地球を守るってあまりに壮大だけれど。。今日の会話とリンクして、そうするためには、まず1人1人が地に足をつけて生きること。自分の確かな存在を感じながら、生きることだ。

つまり、1人1人の血に脈づいている文化を守らなければいけない、と思ったのです。

そのキーとなるのが、言葉。

思っていることと、発する言葉と、行動を一致させる。

そうして、見える化された形を通して、美しい文化が共有されていく。

民族衣装、踊り、音楽、アート、武道、建築、食べ物。。全てがその土地で生まれ、受け継がれてきた尊い精神性の現れ。優劣なんて全くない世界。

 

アイデンティティが自由に羽を広げて織りなす色彩豊かな世界は、

なんて美しいのでしょうか。

個々が誇りを持っていて、他者を自分の色に塗り替えようって

欲望が生まれる隙もない。

 

そんな世界になったら、マザーアースを守るのは、力の入った抗議や運動をすることでもなく、ただ自然に「大切にしたい」という姿勢の現れになるんだと思う。

存在を認めて見守ってくれたお母さんのお陰で、伸びやかに成長できた子が「有難う」って思うのと同じです。

 

私たち日本人は、戦後失われつつはあるけれど、汚されることのなかった文化を長い間、持ち続け、自分たちの言葉を普通に話している幸せな民族です。

その奇跡を感じ、自分を誠実に顕す生き方をしたい。

ふと思い立って出かけたドライブから、そんな気づきを得た1日でした。

 

やまと精神

Related Posts

[insta-gallery id="1"]