春分。命の祝福。
2021/03/20 やまと精神
今日は、春分です。
オーストラリアでは意識する人は少ないように見えますが、日本は祝日ですよね。春季皇霊祭といって、歴代の天皇、皇后、皇族の霊をおまつりする儀式が、この祝日のもととなっています。
さらに、ウィキペディアによると、春分は国民の祝日に関する法律(「祝日法」、昭和23年法律第178号)によって制定されたもので、同法第2条で「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としているのだそう。
占星術の世界では、太陽が春分点を通過するタイミングが新しいサイクルのスタート地点のため、「宇宙元旦」とも呼ばれています。
そんな春分のあれこれを なるほど。。と思いながら、感じることを端的に表すと「命の祝福」、です。
実は日本は、初代神武天皇から一度も滅びることなく126代も王朝が続いている、世界最古の国なのですよね。
国内での争いもたくさんあったし、昨今の世界大戦では敗戦も喫したけれども、一貫して「民衆を主役とした、天皇がシラス国」であり続けています。
シラスというのは、アマテラスオオミカミが国譲りの際、オオクニヌシノミコトにお告げになった言葉で、「隅々まで知ろうとしなさい」という意味。
神と人間をつなぎ、民衆のことを深く知る、大きな慈愛の存在でありなさい、と解釈できると思います。(オオクニヌシの孫が、日本の初代天皇、神武天皇におなりになります)
相手が大切だったら知ろうとするし、知れば知るほど、相手の幸せを祈りたくなりませんか。
日本の天皇は、2000年以上に渡って、上流階級、支配者。。とは程遠く、まるで親子や恋人のような目で国民を包んでくださっている。(馴れ馴れしい言い方ですみません・汗)
皇族の霊をおまつりする日、そしてご先祖様を供養するお彼岸。。春分のそれらの一面を思うとき、私たち1人1人は、大きな慈愛のもとで生かされている、連綿とつながれてきた命の一部なんだという事実に深く包まれ、安らかな気持ちになります。
どんな命も、いつか土に還る。
春分という日は、生と死、「誕生」を意識するときです。
人間の身体の細胞は7年で一新するそうです。同じ人に見えて、中身は全然違うってことですね。
春分は、「心」が生まれ変わる扉が開く日だと言えるかもしれません。1年に1度、ハートがリボーンする誕生日。
色んな不安はいったん横に置き、ただただ、今ここにいられることに有り難う、と感じるといいと思うんです。(お母さんが安らかであれば、お腹の赤ちゃんにも伝わるから)。
自分の中の安らぎに満ちた「聖域」を訪れる鍵は、感謝です。
少し前までは、節目には決意表明したり、今後のことを考えたりしていたのですが、なんか今はそういう気分ではなくて、ゼロに戻したい。軽やかでありたい。
生まれる前、もしかしたら「こんなことを成し遂げるぞ」とか「地球でこんな体験をしたい」とか、色々考えていたかもしれません。
でも、いざ生まれたら全部 忘れちゃいますよね(笑)
ただし、表面的に忘れていても、火種があれば灯火として心を照らし続けてくれると思うんです。むしろ、考えすぎたり、「こうあらねば」ととらわれる方が、火を消してしまう気がする。
だから、「怖いけど、どうなっていくか楽しみ」。。と様々な気持ちが交錯する産道をくぐったあとの、誕生の瞬間は、まっさらな気持ちでいたい。
(春分は、夜と昼の長さが同じ、陰陽のバランスの取れたゼロポイントでもあるから、その後押しをしてくれるでしょう)
これから、どうとでもなれる無限大の可能性を秘めた1人1人がいる、素晴らしい日。
お誕生日=おめでとう。
だから、一言で表現すると「命の祝福」なのです。
私は少しだけ暑さが和らいだケアンズで、渓谷の方へ行ってきます!
みなさまも良い春分をお過ごしください✨