何が真実か分からないときに頼りになるのは。

  2021/03/23  幸せのヒント

前回のブログは、日本で春分が祝日になったゆきさつや、感じていることをさらーっと書きました。

今年の春分はことさらに時代の節目であったようで、その後数日間で、オリンピック関連のゴタゴタ、東北の地震、シドニーやゴールドコースト郊外の大洪水(みなさまのご無事をお祈りいたします)、米中会談での中国の発言問題などの揺さぶりが一気におきました。

見えないところでも、様々な動きがあると言われています。

一般庶民の私には知るよしもありませんし、陰謀論は怖くて興味がないのですが、何か知りたいことを検索していると、(特にYouTube) ガガガと強い主張を放つタイトルや画像がいやでも目に入ってきて、惑わされない方が難しい。。

押しに負けず(笑)必要なときだけアクセスするために、スマホからFacebookやYouTubeやInstagramなどのアプリを消しました。

 

春分の日は透き通った川がリビングルームに。この椅子の上でほおばったパイは最高の味でした。

 

たくさんの人が、それぞれの発信をしていて何が真実か分からない現代、頼りになるのは、違和感や何となく惹かれるという自分の「感性」ではないでしょうか。

野生のカン的なものや、体感覚をもっと信じていい、と思うんです。脳は、損得や安否などの思惑をもたらして本来の自分と離れる可能性もあるけど、前者は嘘をつきませんから。

感性や体感覚が心もとなかったら、せめて、誰かがいうことを鵜呑みにせずに、自分で調べたり考えて結論を出す必要があります。

世界各地で人種差別、環境問題、政府への批判、ワクチン反対etc..大掛かりなデモが起きていますね。

(立派な志で参加されている方もいらっしゃると思いますが、私は、抗議するより自分なりの解決策を淡々と実行する人間でありたいです。)

ケアンズで若者の環境デモ集会?が行われた公園は、彼らが去ったあとにペットボトルなどのゴミがたくさん残っていて「悪いジョークだ」と知人が言ってました。

考えと言動、行動が一致していない例は、色々なところで見られます。

バラバラなのは、束ねるもの。。がないか弱いからでしょう。無意識のうちに、周りの動きに巻かれてしまっている状態。軸が通ってないから、心もパワーも散漫。

ネットやスマホが登場するまでは、誰かの行動や言動で心がざわつくことは、今ほどはありませんでした。冷静に考えると、時間やエネルギーを浪費してますよね。

私たちは、便利さと引き換えに、情報の渦という荒波に自らを放り投げました。

漂流しないためには、自分で舵を取らなければなりません。

舵取りのセンサーが、感性や体感覚です。

それは、あなたをあなた足らしめている「中心」から発せられるもの。

「中心」とは、今まぎれもなく、ここにいるあなたを形作ってくれている「源」です。

 

 

昔の雑誌をめくっていたら、哲学者の竹内修一氏の美しい表現が目に留まりました。

 

「いのちそのもの」とは、私たち一人一人のいのちを、そのものとして生かしめているものです。

言い換えれば、いのちの中心・根拠です。残念ながら、しかし、多くの人は、この「いのちそのもの」に心を向けること、あるいはまた、それを問うことはしていません。それゆえ、自分の人生の意義を見出すことができないのです。

ですから、何かに楽しさや慰めを覚えても、それは、一時的なものとして過ぎ去ってしまうのです。心から、ああ、これでいい といった満たされた状態にはならないのです。

中心がなければ、円を描くことはできません。太陽という中心に引きつけられていなければ、地球はその周りを回ることはできないでしょう。

私たちは、その地球上に生きています。もし、重力がなければー地球の中心へと引かれていなければー、文字通り、私たちは、地に足のついた生活を営むことはできないでしょう。

同様に、私たちのいのちも、「いのちそのもの」へと向かっていなければ、一瞬たりとも立ち行かないでしょう。

それでは、いっったい、どうしたらいいのでしょうか。まず、自分が生きていること、その現実をそのまま見ることです。何のコメントも加えないで、これまでの自分の来し方を静かに眺めてみるのです。

そうすると、きっと、次のことに気づかされるでしょうーいのちとは、私たちに与えられるもの(恵み)であって、私たちが造り出すもの(生産物)ではない、ということです。

これが、私たちのいのちの事実です。ですから、私たちに求められるのは、自分のいのちは、「いのちそのもの」によって生かされている、ということの謙虚なわきまえです。

生かされているということは、つまり、自分のいのちを生かしめている何らかの根拠がある、ということです。

この事実から、目を話してはいけません、そうしないと、私たちの生活は、たちまち中心も方向性も見失ったものとなってしまうでしょう。

 

重力は愛だ、と聞いたことがあります。

中心があるからこそ、私たちは存在できていて。

そして、存在するだけの価値があるから、生かされている。

中心と自分を結ぶ途中には、

信じられないくらい多くの命(ご先祖様や食べ物など)が捧げられている。

 

中心を意識したら、感謝がわきあがるし、謙虚にならざるを得ないし、同時に、自分に対する尊厳も立ち上がります。

会社やプロジェクトにおいて、関わる人々の心がバラバラにならないように繋ぎ止めるのは、中心に据えられたビジョンです。

 

糸でつながれた凧が大空を楽しげに舞うように、起点があるからこそ、自由でいられる。

中心という求心力から分断されなければ、周囲で起きていることや誰かの発信に翻弄されることは極端に減り、私たちは本来の力を発揮するようになるでしょう。

予測不能なこんな時代だからこそ、中心とのつながりという安心感をベースに、ほがらかに自由に進めたらいいですね✨

 

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