違いを尊重し合うことから生まれる第3の道
2019/03/15 生命の樹
シドニー暮らしが始まった娘、先日はじめてマルディグラ(世界最大規模のゲイ・レズビアンの祭典)に行ったそうです。
「すごい熱気で、とにかくハッピーな空気に満ちてた」とのこと。そうだろうな。自分を思いっきり表現できるお祭りですもんね。
私は、ゲイであることは個性の1つで、それ以上でもそれ以下でもないと思っています。
むしろ、逆方向の心と身体を統合している方は尊敬すら覚えます。私などには推し量れない葛藤やお辛さがあるだろうけど、それ故に彼らが生み出すものは哀しく深く、美しい。
。。相反するものを融合するのでなく、反するままの個性を認め合うと、周りを照らす何かが生まれる気がするんです。
第3の道 ですね。
分けたままでいいじゃない、という超越から始まる光の道。
(温子先生ご考案の生命の樹の各ワークも、右と左(感情と思考)など、無理してどちらかに決めないままの自分を慈しみながら、いつのまにかステージが少しづつ上がっていく素晴らしいものです)
2極をどちらかに合わせようとすると、どうしても争いや葛藤がおきてしまいます。
26年前、まだ珍しかった国際結婚をした時、父に言われました。「全然考え方が違うということをベースにしなさい。分かり合えたらラッキーくらいの気持ちでな」
「違って当然」から始まったので、分かって欲しいと訴えたこともないし、ナンセンスと思うことが起きても頭にはこない。クールで可愛げがないかも(笑)。
ただ、「どうしたらハッピーな方向に行くのかな?」とは常に考えてきました。
仕事上は特に。
情報誌の初期のころ、印刷所が「発行日より1日遅れそうだ」と言ってきたことがありました。何でできないの?と責めてもだめ。1日くらいいいじゃん、日本人って時間に厳しいね、となるからです。
「広告でキャンペーンを打っているクライアントさんもいる。1日遅れるだけで、彼等にとって損失になる。だから私は時間に厳しくせざるを得ない」そう言いました。
日本語を初めて見る印刷職人さんとは何度か話し合いをしたし、スケジュールが遅れないように、現場にもよく足を運びました。
オーストラリア人と日本人の狭間に立つことはしょっちゅうで、何で自分が悪くないのに謝らないといけないんだろうと嫌になったこともあります。
でも、つべこべ言ってもラチがあかないので、誠意を持った態度と行動で示すしかない。
印刷会社はその後、私たちがお客様の変更に最後の最後まで対応できるように、印刷スケジュールを最短にしてくれ、かつ期限に間に合わす努力を続けてくれました。
大手に買収されて刷る場所がブリスベンに移ったとき、台風で陸路がカットされて、印刷物が発行日に届きそうにない、という事態になったことがあります。その時は、「恵子の仕事は絶対に遅らせてはいけないから」と、経費がかかるのに空輸してくれました。
他にもいろんなことがあったけれど。。時間がかかっても、相手を尊重した上で、地道に自分の最善を尽くすというのが、体験から得た第3の道の作り方です。
相手を自分の色に塗り替えようとすることは、ちっとも建設的じゃないことがわかりました。
白人の人がアボリジニの壁画を「幼稚園生以下だ。奴らは絵の具と筆すら発明してない」とバカにした時に、あえてそうしてるんじゃないの と珍しく反論している自分がいました。
自分たちが一番だと思うなよ、と頭にきたんですよね。ああ、私の怒りポイントってここか、と思った。
ありのままを認め合えたら、争いがなくなるのに。
新しい何かがクリエイトされるのに。
自分が、人生の半分以上をアウェイの環境で過ごしているから(差別受けたりはしてませんが)、余計に敏感なのかもしれません。
卑下することも、偉ぶることも主張することもなく。
「私はこの色」と淡々としなやかに生きる人たちが、比較競争から超越した、クリエイティブで美しく、調和の取れた世の中を創って行くのだと思います。
それには、まず、自分の色を知ることから。
生命の樹Self Discoveryセッションを、ライフワークとしてさせていただいているのは、そんな思いからです。
セッション前に、なぜ私から受けようと思ってくださったのか尋ねると、多いのは「しなやかさと強さ両方を感じる」「やわらかい雰囲気なのに行動力があるから」的なお答え。
オーストラリアと日本という2極。私自身の生命の樹の、本質と天職(青と赤)という2極。今まで、相反する物に翻弄されてきたのに、それを受け止めてくださる方がいるなんて、本当にびっくりだし有難いです。
そんな風に「これが私と自分にイエスを出して楽になる」体験をする方が増えたらいいなと思っています。
マルディグラのようなお祭りだけでなく、日常でTRUE COLOURを表現する方が増えたら、本当にカラフルで平和な世の中になるだろうから。。!