明治神宮。劇的に変化する世界。志。
2018/11/20 幸せのヒント
すっかり久しぶりの投稿となってしまいました。数週間日本に行っていて、先日戻りました。
30年前、オーストラリアにワーキングホリデーに来たときもそうだったように、日本にいる間は滞在期限を意識するので、人と会ったり様々な場所に赴いて、できる限りの体験をしようと目一杯動きます。(ケアンズに戻るとゆるーくなってしまいますが。。)
今回も象徴的なことや気づきがたくさんあった中で、まず挙げたいのが「志」という言葉。
東京での初日、用事があって市役所に行ったとき、待合ロビーのテレビに、漢字の勉強?のための子ども番組が流れていて、いきなり画面にアップになったのが「志」という漢字でした。
日頃、あまり使うことがない。でもドキッとする一文字。
その日の午後、髪を切りに原宿に出向いた帰り、ふっと明治神宮に足が向きました。
ここで、また出逢ってしまった。何とも崇高な「志」に。
お恥ずかしいことに、境内にあったパネルを見るまで気がつきませんでした。2018年が明治維新150周年だということ。
「明治維新百五十年
五箇条の御誓文布告百五十年」
。。目が釘付けになりました。
明治維新を経て鎖国が溶け、江戸が東京になり、新しい価値観のうねりが一気にやってきた激動の時代。
この時に即位された明治天皇は、満14歳であられたとのことです。どんな覚悟でその位につかれたことでしょう。
前代未聞の時代に突入した明治新政府の方針を現し、天皇が神前に奉ったのが五箇条の御誓文です。
一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一、上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。
一、官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。
一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。
勅語
我が国未曾有の変革を為んとし、朕、躬を以て衆に先んじ天地神明に誓い、大にこの国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆またこの旨趣に基き協心努力せよ。年号月日 御諱
下のような説明が添えられていました。
当時の日本は、江戸幕府による200年以上にわたる鎖国政策が終焉を迎えて開国し、西洋諸国の文物が急激に流入する中で、将軍による封建的な治世から、天皇を中心とする近代的な政府の樹立に向かう激動の時代でした。
そのような時代背景にあって、五箇条の御誓文は、
公平で私利私欲を捨てた議論に基づいて意思決定を行うことの大切さや、国民それぞれが志を持ち、皆が協力一致して国の発展に尽くすこと、
また、古いしきたりにこだわることなく世界に知識を求めることを表明するものであり、日本の国風を尊重しながらも近代国家としての日本をつくりあげる礎となったものです。
同じ方向を向けと強制するのでなく、国民1人1人が、”公平な心” と “志”を持つように、と言っている。
そこには「支配」のかけらも感じない。ご自分と国民を信じ切る気高さが、胸を打ちます。
明治天皇は、質素で自己を律された暮らしぶりでも知られ、近代国家日本の指導者、象徴として国民から畏敬されただけでなく、西洋列強に植民地支配されていた有色人種の間でも、「亜細亜全州の覚醒を促し給いたる救世主」と賞賛されたと言います。
新しい時代の幕開けに明治天皇が示してくださったお覚悟を国民が受け取ったことが、後の日露戦争の奇跡的な勝利などにつながっていったのではないでしょうか。
明治維新から150年経った今、私たちは、人工知能が席巻する、体験したことがない時代の始まりにいます。
スマホはもちろん、ロボットが当たり前になってきて、お金も仮想通貨が一般的になり、同性婚が認められる地域が増え。。色々なことが変わってきていますよね。
開国当時は、諸外国の様子を見聞できたけれど、これからやってくる時代がどんなものになるかは、まだ誰も体験していない。
どうなっていくんだろう、という期待と不安が社会に広がっています。
明るい未来を創っていくために必要なのは、150年前、いえ、五箇条の御誓文の元となった聖徳太子の「十七条憲法」が制定された1260年前から日本に流れている
1人1人が志を立てることと、和の心を持つこと
だと思うのです。
明治神宮を偶然訪れた翌日は11月3日、明治天皇のご生誕日。
この日も、インスパイアされる言葉や音の中にいました。地球の次元が変わってきてる。。そう感じました。
正解も善悪もない。これからの時代を拓くのは、
自分の全てを受け入れ、自分を生きるという覚悟。
急激に変化する世の中に翻弄されず、
つながれてきた自分の命を信頼して、自分が信じる道を進む。
思いやりと共鳴の波が時代を創っていく。
明治神宮のお参りで私が心に描いたのは、「より多くの人と幸せと豊かさを分かち合う」ということ。
「そのために、どんな志を立てるのか」。と問われた参拝でもありました。
実はフライトの前夜、のどが詰まって息苦しく、恐くて夜中に病院に行ったんです。(日本でも診てもらったけど異常なし。でも今も詰まっていて、あまり食べられない)
本宮からの帰り道、参道を歩きながら、私は生まれるのが恐いんだな、と思いました。
参道は産道。お宮(子宮)参りをして、誓いを立てたものの、まだまだ生まれ変わる覚悟が足りていない。
母によると、第一子の私は大変な難産で、鉗子分娩でこの世に生まれましたが、紫色で産声も上げず、ほぼ仮死状態だったそうです。
産道を通ったときの息苦しさ。新しい世界に生まれでることの恐さ。七五三で賑わう明治神宮の境内で追体験し、そして決心しました。
恐がりな自分を認め、信じ、志を胸に次のステージに進もう。
明治天皇の気高い想いと志に包まれて、子孫の代にどんな世界を残したいのか、そのために自分ができることは何だろう、と意識せずにいられなかった。
様々なメタファーが散りばめられ、想いを新たにした11月の初めでした。