縄文と銀河系。太古と宙の共鳴が新たな時代を開く。
2021/02/12 幸せのヒント
かねてより興味を抱いていた「縄文カレンダー」が届きました!
理由もなく、縄文に惹かれ始めたのは確か小学生のとき。社会で登呂遺跡のことを習い、連れて行って〜と親に頼んだ覚えがあります。(実現せず)
その後、特に研究や勉強をしたわけではないけれど、岡本太郎さんの作品集などを通して縄文の芸術から目が離せなかったり、天分美ジネス実践サークルでも、「縄文型ビジネス」についてよく投稿したり。
オーストラリアに住むことになったきっかけがアボリジニの壁画ですから、何かと太古が好きで、わたし自身も色んな意味で原始的だと思います(笑)
縄文時代は、なんと1万年にも及んで争いがなかった平和な時代。
日本人のルーツは、自然や命を崇拝する調和の世界だったのです。
縄文カレンダーの最初のページによると、
古代の日本では、北極星を「アモト」(宇宙の中心、源、アウワ)とし、すべては「アモト」から降り注ぐナミ(波動)のもたらしによるものと考えていた、と書かれています。
ヒトはアメミヲヤ(宇宙創造祖)のワケミタマ(こころ)であり、アモトはタマが降ろされ、還る場所。
人々は、季節の節々に先祖のミタマに感謝を捧げ、お祭りを行ってきた、と。
その一節を読んで、私たちは、宇宙の創造神のかけらであり、地上で為すべきことを為して、故郷に還ってゆく存在であること。
イノチをつないでくれたご先祖に感謝して、今を生きる、という共通認識が、平和な時代の礎であったのだと思いました。
大野靖彦氏の成功の秘密にアクセスできるギャラクシー・コードによると、
この3000年間は、「支配するモノ」と「支配される者」に分かれる資本主義の「太陽系文明」で、私たちは「太陽」が神・創造主と捉え、無力な人間は神に従わなければ生きていけないと教え込まれた、と言います。
ところが、縄文やアボリジニの人々は銀河につながり、テレパシーや超能力を使うことができた「銀河系文明」を築いていたとのこと。
銀河系文明では、「人間」が神であり、創造主であると考えられていました。
著者は、太陽や歴史を否定するわけでは全くないけれど、3000年続いたこの文明は終焉を迎えていて、新型コロナウィルス はその引き金にもなっている。
これから人類は、平等、分かち合いの銀河系文明に変わる必要がある、とおっしゃっています。
1人1人が宇宙と、そして大地とつながっていて、
恵みを享受し、分け合いながら生きてゆく。
そんな縦と横の光の糸が織りなす世界が私の憧れで、小さいながらも仕事を通してそこに近づこうと試みてきました。
天から授かった天分を周りに届けるお手伝い(ブランディング)であったり、大地の守り人であるアボリジニの聖地へお連れするツアーであったり、地元の自然の恵みを形にした商品を扱い、協働を実現するお店づくりであったり。
光の糸の源は、銀河だったんだ。。
遥かかなた、途方もなく大きい。(太陽系を約2メートルほどに縮めたとすると、銀河系は130キロメートルの大きさ!)
こんなに圧倒的な意識とつながったら、今の社会に充満しているような傲慢さや、自分さえよければという生き方は生まれようにもありません。
銀河という響きに、目が覚める想いでした。
縄文時代の文字は、ヲシテ(教える・手立ての意)と呼ばれ、一音韻一文字の、表音表意文字。見えないエネルギー(波動)の性質や働きを形で表しています。
本当によくできていて、父韻の十要素は、大自然の理(ことわり)を、植物の成長過程になぞらえてあり、エネルギーがイメージできるようになっています。
例えば、りんご を表現しようと思ったら、皮が赤くて丸っこくて美味しくて。。名前がついているから、すぐに人に伝えることができますよね。
古代の人々は、表面の描写でなく、そのものが放っている波動(エネルギー)を音に置き換えて、表現していたんです。
上っ面でなく、本質を感じることができたのでしょう。
見えないものと、触ることができる見えるものとの区別がとってもあいまいな、響きの世界。
考えてみると、ココロやその深奥にある魂という見えないものと、カラダでできている人間も、その他の命も皆、あいまいに溶け合っているような存在ですよね。
私たちは、銀河の星々を内に秘め、一隅を照らすことを目的として遣わされた。
その世界観にあっては、自分は自分であり、自分でなく、本当に多くの命と呼応しあって生かされている。
なんて豊かで広がりのある世界なのでしょう。
もしかしたら、ワンネスとはその境地を指すのかもしれないし、瞑想は源を感じ、鎮まる作業なのかもしれません。
縄文カレンダーをめくってみると、本日は、奇しくも旧正月。年明けです。
(縄文の人々は、新月を一日としていた。)
トシワケ(大晦日)は、天地自然の安寧を祈念し、西を塞いでマメを炒ってオニヤラヰをし、ウラジロやユズリハで〆飾り、麦を食して年超えのお祭りをした、と書いてあります。
オニとは、凝り固まった思いや憎しみ、嫉妬心などのことで、オニヤラヰとは、悪い芽が出ぬよう、豆を炒って、マ(魔、悪心、障り)のメ(芽)を断つ行事。
そうか、鬼は、自分の心に巣食う魔なのですね。
空前の大ヒット「鬼滅の刃」の中で、鬼が元々は人間だった、という設定が印象的だったのですが、私たちのDNAにある考え方ゆえに、共感を呼んでいるのかもしれません。
縄文時代のように、1人1人が年明けに自らの心を律する作業をしていたら、鬼は生まれようがありません。
今日は2021年初の新月。
みずがめ座という、新たな息吹をもたらすエネルギーが強い位置にお月様がいます。
ココロの中に魔がないか見つめ、きたる銀河系の平和な共創の時代に向けて、大いなるビジョンを描きませんか?
1人1人の意識が時代を開きます。
縄文カレンダーは、喜びの種というブログを書かれている冨山喜子さんが制作しておられます。
ヲシテ文献を研究され、まさに銀河をつながりながら、太古の叡智を分かりやすく降ろしてくださっています。ブログ記事の下にカレンダーの申込先も載っていますよ✨