大地のスピリットと溶け合う森の声を聴く。
2017/05/18 アボリジニの聖地・教え, ケアンズ・ソウルジャーニー
オリジナルツアーを創るために、あちこち出かけています。(1日に何百kmも車で走るんですよ!)先日は、ケアンズ高原に代々暮らすナジャン族のアボリジニ、ドリューに熱帯雨林を案内してもらいました。
「右のキャンプは男性、左は女性。真ん中にいる部族の長老がバースコントロールをしていたんだ」
森に入る前に、地元の作家さんが創ったというタイル画を見ながら教えてくれたのは、アボリジニの人々はかつて、一夫多妻で子どもの数を2人づつにしていたという初めて知る事実。豊かな森の中で秩序ある暮らしをしていたのですね。
部族で赤ちゃんが生まれると、長老がトーテムを授けたそうです。トーテムとは、守り神とも言える、自然界の生き物。
「僕のトーテムは月」と誇らしげに言うドリューに、なぜかを訪ねると「赤ちゃんのとき、夜になると生き生きしてたからって聞いてる(笑)」という答。可愛いなあと思うと同時に、「夜になったら寝なさい」なんて言わない、その子の個性をそのまんま認めてトーテムにするアボリジニの人々の感覚に感心。
「右上に描かれているのは、死んだらスピリットが還る場所〜バートルフレア山。スピリットはその後、自分のトーテムに生まれ変わると信じられているんだ」
。。日本人が持つ「お天道様が見ている」と、「トーテムに還ったご先祖さまが見ている」という倫理感はきっと同じ。
「自然を守ろう」という態度は、どこか自然と自分を切り離したような感じを受けます。けれども、アボリジニの人々が持っているのは、そんなこと口にするまでもない〜
人間も大自然の循環の一部という揺るぎない感覚です。
隔たりがないのです。自分と樹々と。自分と他の人と。自分と自分を取り囲む全てが。
彼等が、生きとし生けるもの全てを敬いながら生を全うしたのは、一体感から来るものでしょう。
緑濃い森に足を踏み入れ、ドリューは、ブッシュタッカーと呼ばれる森の中の食べ物の説明を続けます。果実や木の実は、そのままでは毒素があるので、女性が編んだカゴに入れて、水に浸してから煮たりして食したものが多い。丈夫な子どもが実験台になることもあった、なんて裏話も聞きました。
何もない森に全てがあって。食べ物がなくなると移動して。自分のトーテムの動物だけは穫ることが許され、収穫物はシェアして。必要な分だけを謙虚に受け取る生き方を貫き、気が遠くなるような月日をここで過ごしてきたナジャン族の人々。
(1943年までこの森で暮らしていたそうです)
時折、森の恵みを持って山を下り、海岸線沿いの部族を訪ねて海の幸と物々交換したそうです。争いはなかったの?と聞くと、「他の部族が女の人を盗みに来たりはあった。でも、そんな時は槍投げ競争で決着を着けていたと聞いている」とドリュー。平和的なんですね。。
でも、いざという時に闘えるスピリットを鍛えるためでしょうか?男性にはイニシエーションの儀式がありました。部族によって異なる模様を、尖った石などで胸元に刻んだと言います。
必要な時以外は闘わない、全てを信用して受け入れる、本当の意味で強さを持っていたアボリジニの人々。この強さはきっと、周りとの一体感と、安らぎの心から生まれたものだと思います。
ドリューは「死ぬのは恐くない。新しい旅立ちへのセレブレーションだから」と言いました。
1800年代の終わり、ヨーロッパから白人がやってきて開拓が進むと、アボリジ二の人々は、開墾に必要な土地の知識を与え、雇われていきました。が、次第に、考え方や風習の違いなどから摩擦が起こり始めます。
聖なる場所と崇める場所が迫害されそうになったとき。守るべきものを守らなければならなかったとき。彼等は立ち上がり戦いましたが、銃にかなうはずはなく、虐殺の目にあうのでした。
鳥のさえずりや、森の中を動く動物たちの足音の他は、何も聞こえない静寂の森。全てを包み込んできた沈黙が、足を踏み入れた者に、声なき声で語りかけます。
人として大切なこと。
地球に生きる者として守らなければならないこと。
文字を持たなかったアボリジニの人々のスピリットは、大地のスピリットと溶け合い、どんな書物よりも雄弁に、色あせることないメッセージを今を生きる私たちに伝えてくれます。