自由について考えてみた
2018/01/30 幸せのヒント
前回の記事を書くのに2日近くかかりました。。
正直「引き寄せの法則」は実践したことがなく、自分の言葉じゃないから一苦労。でも、急にこのタイトルの記事にしようと思ったので、誰にも頼まれてないのに頑張りました(笑)
本を読み直したり、インターネットで検索したのですが、ネットの恐さ?で、関係のないページも見てしまったのが時間かかった理由のひとつ(汗)
何度も目にしたのは「自由 起業」「好きなことで起業」「女性 起業」といった言葉でした。
ネットの特徴で関連する情報がつながっただけなのだけど、多くの方が関心を持つ分野のようですね。(オーストラリアにいると、好きなことをするのは普通の感覚)。若い頃は、起業なんて言葉聞いたことなかったので、社会が変わってきてることを感じます。
今年は、「美しく自立する女性をサポートする」しごとも始めたいと考えていますが、わたしにとって自立は、起業することだけではありません。(もちろん、起業の道を選んだ方も尊敬してます。)
家庭や職場など、与えられた環境の中で自分を生かして働いている人は、とても美しいと思う。
今いる場所で、自分と、周りにいる人を大切にすることから、全てが始まると思ってます。
自立は「在り方」のこと。大地にしっかり根付いて、自分だけの花を咲かせているかどうか。
ちなみに、起業したら自由になるっていうイメージは、勤務時間を自分で決められたり、しょっちゅう旅行に行っていたり(これ系の記事が多かった)、職場の人間関係の軋轢がない、お金をたくさん稼いで経済的な自由がある といったところから来ているように感じました。そんな「状態」に憧れる人が多いのかな。
世間のトレンドはさておき。
「本当の意味での自由って何だろう?」と、頭の片隅に置いて散歩していたとき、わたしの頭上を鳥たちが横切っていきました。いかにも気持ち良さそうに。
鳥は、大空を飛べて自由だなあ。
。。「うん。僕らは、いつどこで嵐に遭うかもわからない、だけど飛ぶと決めた。遠くに飛ぶために、身を軽くする必要がある。たくさん食べずに、翼を動かすことに集中してる。」
そうだよね。何かを手放したから、高く飛べるんだね。
彼等が見せてくれた自由な姿は、
勇気と覚悟をもって軽やかに飛び、
素晴らしい景色を味わう喜び。
凛とした部分と広がり、その両方でした。
私たちは、どんな状態にいても、飛ぶと決めたらあの鳥のように自由になれるのだと思います。
そして、目の前に広がる海が教えてくれたのは、心の自由。
大地を流れる川から注がれる水を
すべて受け入れ、悠々と広がる
尊厳を伴った、とらわれのなさ。
なんて清々しいのでしょう。
「自由」をWikipediaで引いたら、興味深いことがわかりました。
「自由」と訳されている英語の「Freedom フリーダム」と「Liberty リバティ」、語源が違うのです。
フリーは古英語の「frēo」に由来する。これは古インドヨーロッパ語の「prijos」や「prēy-」、あるいは古ドイツ語の「frijaz」に起源をもち「好む、愛」の意味を持つ。北欧神話のフレイ、フレイヤも同じ語源による。古代ギリシア語では「πρᾶος(praos, 温和で、優しい)」[2]。気ままさや傲慢さが含意される場合がある。
一方でリバティはラテン語「liber」の「社会的・政治的に制約されていない」「負債を負っていない」という意味から、英語の「liberal(形:自由な)」や「liberty(名:自由)」の語源となった。
近代における自由の概念は、他者の意志にではなく、自己自身の意志に従って行為することとして捉えることができる。
日本では往生楽土、楽市楽座の語に見られるように、「楽」を「自由」という意味で使う用法があった。
語源が「愛」だったり「温和で優しい」だったりしたのは意外でした。FREEは、外側に向いた在り方を思わせますね。
日本で、「楽」が「自由」という意味で使われていたのも興味深い。自由が、喜び、楽しい境地と同意語だったなんて。
「自由」という言葉は、近代になって「自分を主体」としたものになっていったように感じるのは私だけでしょうか。逆に制限がかかってきちゃったような。。
わたしは、FREEでいたい。
とらわれのない心で、周りの人と一緒に美しい景色を楽しむ生き方が理想です。
あなたにとっての自由は何ですか?