自分らしく生きるってどういうこと?
2016/10/03 アボリジニの聖地・教え
「今の世界は、恐怖がベースになっている。人は怖いからウソをつく。政府や、権威は我々をコントロールしようとする。 でも、魂は本当にしたいことは何なのかわかっている。」
アボリジニ・シャーマン CJとのインタビューより
年を重ねるにつれ、社会や家族など、折り合いをつけながら生きてゆくことが必要となり、次第に周りに合せることが上手になって、自分は本当は何を望んでるのかわからない、と思うことがありませんか?
私が初めてオーストラリアに来たのは大学2年生のとき。たった数週間の滞在でしたが、本当にイヤだったのは「で、君はどうしたいの?」と常に聞かれることでした。コーヒー、紅茶どっちにする?くらいなら問題ありませんが、「今日どこ行きたい?」とゼロからの選択となるといつも困ってしまう。自分が何をしたいか、意識しないとわからない。
小さな選択でも、人任せだったことがハッキリしました。小さいころは、何が欲しいかなんて意識しなくてもいつもわかっていたのに。あんなに無邪気で自由だったのに。
物心ついて学校に通うようになると、次第に、親や先生や周りが望む形に収まれば平和。言われた通りのことをするのが楽。。主張すると面倒くさい。ということを学んでいきました。
自分の人生なのに、主導権が外にあったのです。
尋ね続けるオージーにイラっとしながら、そのことに気づかされ、
「どうしたい?」「どう感じてる?」と常に自分に聞く訓練をしました。
ぼんやりした自分と向き合う、一種の修行。日々の暮らしって思うよりも小さい選択が多くて、結構キツい。でも、ずっと意識して実行していたら次第にそれは習慣になり、今は「決断が速い」と言われます。「何か違う」とか「あ、これだ」という感覚も、ある方だと思います。
無視され続けたら、もうその人とは話したくなくなるでしょう。どうせ聞いてくれないし。。って。
自分の中でも同じことが起こっているのです。自分の奥の存在が、対話を止めてしまうんです。だから、いつも聞いてあげないといけない。
今、自分はどう感じているのか味わい、
自分が喜ぶ方を選ぶ。
それは、閉じてしまった扉を開ける第一歩です。
愛と無邪気と自由だけがあった、本来の自分と再会する道のり。
大人の事情で、心と裏腹の選択をしなくてはならない時があっても、味わうことを止めてはいけない。
自分が喜ぶ選択を日々の中で増やしていくと、他の人が羨ましいとか、自分勝手でずるいと思うことがどんどん減って、穏やかな世界にたゆたっていられるようになります。
CJは、言います。
「失われた世界を取り戻す鍵は、大自然に返ること。
大地とコネクトすること。
そして自分の奥深くに在る中心に立ち還ること。」
自然の中に身を置くと、ホッとするのは。
裸足で地面や砂浜を歩くと気持ちがいいのは。。
本来の自分が喜んでいるからなのですね。「自分の魂が望むこと」は、外にあるのでなくて、自分の中心にあります。生きてきた中で作られた扉の奥で、光が射すのを待っています。
「あなたの源は、自分が思うよりずっとずっと大きい。無限に大きい。」
静かに語るCJの目を今も思い出します。
どうやら、私も色々な物事を複雑に考え過ぎていたようです。ケアンズの手つかずの自然に出かけると、心が落ち着き、ぶれがなくなる。
今後も、ブログで少しづつ、そんな自然と、私が出会った人々の言葉と、感じたことをシェアしてゆこうと思います。