自分の美学と幸せ
2022/09/05 幸せのヒント
またまた久しぶりのブログになりました。。
昨年10月の満月にヘッドスパサロンをオープンしてから初めてのことの連続で、必死ながらも楽しく嬉しい日々。50半ばで、新鮮な気持ちで過ごせるのはとても有難いです。
何かが安定してくると、次のことにチャレンジしたくなる性分は、亡くなった父譲り。なぜ面倒な道をわざわざ進むのか自分でもわかりません(笑)。
オーストラリア・ケアンズにやってきて初めての起業は、日本語情報誌の立ち上げ&編集で、その後ケアンズの地元の良いモノを集めたお店をオープン、ライフワークとしてアボリジニの聖地を訪れるツアーやブランディングのお手伝い、今は和の精神を体感していただく場としてヘッドスパサロンをしています。
27年間 やっていることは一見バラバラなのだけど、実は、自分が大切にしたい価値観という根っこは変わっていなくて、色んな枝葉が出ただけ。
例えばローカル志向、調和、シンプリシティ、等身大(自然体)、スロー、尊重(共存共栄)、お金を超えた豊かさ、安らぎ、2極を結ぶ、透明、ゆらぎ(オープンさ)などなど。。
コロナという流行病によって、いったん立ち止まる経験の中で、改めてご自分の価値観が浮き彫りになった方もいらっしゃるのではないでしょうか?
何をしても、いくら稼げても、自分が大切にしたいことを、ないがしろにしては幸せにはなれないということにも。
皮肉なことに、幸せになりたくてトライするのは、世間の価値観に基づいたものや誰かの教えであることが多いように見えます。
特に日本は、自分で考えない教育システムになっているし、メディア、SNS、YouTubeなどを通して、不特定多数の情報、意見に簡単にアクセスできるから、露出度の高い人や、すごいと感じた人の言うことを「鵜呑み」にしがち。
今立っている場所に感謝することなく、気持ちは次から次へと目に飛び込んでくるものに吸い込まれてゆく。
そう。現代は、物も情報も飽和状態です。
「あふれてる」んですよ。
「みちて」ない。
身体だって、食べ過ぎれば消化不良を起こし、様々なバランスをくずします。昔は腹八分目が健康につながると言われました。
もっと幸せになりたい、と取り入れれば取り入れるほど、調子は乱れるでしょう。
食わず嫌いや拒否するのでなく(中には本当に滋養になるものもある)、かじってみて、不味いと感じたら飲み込まなければいい。
または、自分にあう味にアレンジしたらいい。
基本は、既に自分の中に必要なものは備わっている、という意識です。
あふれていて、みちてない、というフレーズはふっと出てきたもので、「あふれる」という言葉の数霊を調べてみました。(日本語は、意味を持つ五十音ひとつひとつが組み合わさって言葉ができているので、言霊を数に変換すると、本質がわかります)
「あふれる=漠然としていたもの、闇に隠れていたものが つまびらかになる。正と邪を見極めやすくなる。中央に向かう」でした。
まさに、現代の世の中の様子では?
臨界点に達したこの状態まで来たら、新たな世の中に向かうために、1人1人が在り方を変えることが必至です。
やり方でなくて、在り方。
「中央に向かう」とは、自分軸、自分の美学に添うと考えてもいいのではないでしょうか?
私はこれまで、ずいぶん色んなものをかじって、きっと自分にとっていいものだと言い聞かせて飲み込んで苦い経験をしましたが、年を経て、今まで以上に、不味い(なんか変だなあ、違うなあ)といった違和感を大事にするようになり、簡素化しました。
誰しも、心の奥底に大切にしたいことがあるから、それにそぐわないものは響かない。自分に嘘はつけないようにできています。
世間一般が言っていることと、自分の美学が合わないと、葛藤が生まれるからごまかしているだけ。
でも、自分が幸せになることの方が大事じゃないですか?
もっと言えば、あなたが幸せになれば、周囲、全体と幸せの輪は広がります。人も自然もつながりあって生かされているからです。
今、求めるべきは、
外から入れたもので自分をあふれさすことでなく、
既に自分の中に満ち満ちるものにつながること。
自分の美学、それを生み出した大元の神秘に。
かくいう私も、つながれているか分からないけど、素直であること、日々切磋琢磨することは心がけています。必要な智慧にアクセスできるように。
そのために有効なのは、ゆるめる時はゆるむというリズム、自然に身を置くこと、ものごとに固執せず、有難いなあという気持ちを味わうことでしょうか。
ピンと張り詰めた状態より、芯からリラックスしている時の方が色んなアイディアや、やってみたいことがわいてきます。余白がないと、つながれません。
だけど、常にゆるんでいても何も起こらないので(笑)美学を胸に 働くときは一生懸命働き、休むときは休み、遊ぶときは遊ぶ。
そんな、種も仕掛けもない暮らしが、結局 満ちていて幸せであり、そういう人が増えた世の中がユートピアなのだと思うこの頃です。