本当の自分を創造的に生きたいのなら。
2021/07/19 やまと精神
日本各地の豪雨に心を痛めています。
ここケアンズも季節外れの雨続きで、今日は久しぶりに朝からお日様が顔を出しています。一時は天空に水ってこんなにあったのか、とびっくりするぐらいザンザンと降り続きました。
巡っているんですよね、水は。
地表の川や海の水が太陽の熱で水蒸気になって、天にのぼってまた地に還る。
同じく、私たちの体の約60%も水で、1日に体内外を出入りする量は約2500mlもあるとか。
栄養分を運んだり、細胞活動を維持したり、汗などで体温を調節したり必要に応じて「形を変え」「流れ」ながら、水は刻々と様々な役割をこなしてくれています。
私たちの生存本能は 流れることも形を変えることも好まず、安定していたいと思わせるけれども、自然の摂理はそうではないよう。
自分の使命、天命って何だろう? こんなことをしていていいのかな?
本当の自分を生きたい!
そんな風に思って 掴みどころのないものを求め続けていませんか?
「嫌なことは水に流す」と日本では言います。
嫌なことだけではなく、日々瞬間わきあがる色んな感情を水に流して「軽やか」であれば、ふさわしい流れに乗ることができ、ひいてはそれが自分の役割を果たすことにつながるんじゃないかと、年を重ねて思うようになりました。
水のように執着せず清らかでいようと努めて過ごすことが大切なのだと。
本当のあなたは、どこか遠くにいて見つけるものでも、夢見る存在でもなくて、今目の前で呼吸しています。
自分という既にいる存在を認めてあげる。
一瞬一瞬 祓い清めるよう努める。
そうすると、本当の色がちらりと顔を見せ始めてくれます。
埃をかぶった家具を拭いていくうちに、元々の美しい木目が見えるように。
埃だらけで物置で眠ってるこの姿は本当の私じゃない!本当はピカピカで、素敵なお部屋で存在感を放っているはず。どうしたらそうなれるの?
。。考え続けたり、セミナーや啓蒙本から答えをもらおうとするよりも、埃を取り除いて磨いていったら、自然とふさわしい買い手がつき、喜ばれる場所に収まるんです。
(すみません、例えがモノになってしまった)
神社には御神体として鏡があり、私たちが拝んでいるのは、鏡に映る自分自身であり、自分が神であるということを教えてくれています。
それを、おこがましいと感じるならば、自分自身がせめて曇りなく映る鏡であるように努めたい。
本当の自分を生きるために、自分で選択して道を切り開いて成功するんだ!と意気込んでいるうちは、ふさわしい働きをする余地がありません。
様々な感情を水に流してリセットする力。
そうしてゼロになれる術こそが、小さな自我を超えた大いなるパワーにつながるキー。
2020年までの普通は瓦解しました。
いま 世の中は、情報ウィルスにおかされ、不安が蔓延しています。
逆に言えば、1人1人のリセットの力と、変身を受け入れるしなやかさをもってすれば、新たな色に塗り替えることができる、すごい時だとも言えるんですよね。
絶対服従だった封建時代と違い、私たちにはどう生きるか、選択の余地があります。(100%ではないにせよ)
6月と12月に行われる日本の大祓で奏上される大祓詞は、個人の罪を主体とする「国つ罪」よりも農耕に関する慣行を破ることを主とする「天つ罪」を先に列挙するそう。
日本古来からの考え方では、共同体秩序を乱すことの方が大罪であったと読むことができます。
(付け足すことよりも、みそぎ、はらいを重んじる日本の文化のすごさを改めて思います)
1人1人が浄化し、本当の自分を生きることの大切さはもちろん。
清らかな全体を創っていく、という心持ちを促されている気がしてなりません。
。。共に、歩みましょう。