発電する生き方
2020/08/04 幸せのヒント
この数日、サークル限定Facebookグループで、獣医さんの自殺というヘビーな投稿(獣医学部に在籍中の娘から聞いた話)などを通して、感じたことがありました。
まずは、皆さんの受け止めの器に対する感謝、そして「漏電してちゃもったいない」ということ。
後者はなんのこっちゃ?ですよね(笑)。
よく聞く「エネルギー」という言葉、私には今一つつかみどころがなかったのですが、武学のレノンリー先生が「電気」と表現されているのを聞いて、イメージしやすくなったんです。
「ビビッときた」という表現は電気が流れてる感じがするし、オーラも発光のような感じだし、満たされると「充電」したとか言いますし。氣という漢字も、合気道など、エネルギーという言葉と結びつきやすい。
そもそも、私たちの身体も、あらゆる物質も生命体も原子でできていて、原子の周りをグルグル電子が回っています。
大地も大気も電気が流れているし、見えないだけで、内側も外側も、この世の全ては電気(エネルギー)で、放電したり、受容したり、交流したりしてる。
「感情もエネルギー」ということで想像してみると、カッとなって怒ったり、大層驚いたり。。は、電気がわーっと流れているイメージ。
深く落ち込んだり、悲しみにくれる、喜びにどっぷり浸かるというような。。ある感情にひたってるのは帯電しているイメージ。
電気だと思うと、感情にいいも悪いもないんですよね。(重い、軽いはあっても)。プラス電荷に偏ってるか、マイナス電荷に偏ってるかの話で、偏りをなくし、バランスを取ることが大事なのだと思います。
怒りや悲しみを機動力にして事を成し遂げる方は、スイッチを入れて発電できる方、と言えるかもしれません。
だから、帯電量が多い人は、ものすごい可能性を秘めている。
小学校の理科で習ったことを思い出すと改めて興味深いのですが、電気の特徴は、熱、動き、光、音を作ること、でした。
熱は情熱。動きは行動。光や音は、その人の たたずまい、に置き換えられませんか?
感情の振れによって明らかになっていった自分の美意識を元に、1人1人が発電していったら、世の中はより明るくなるんじゃないかと思うのです。
↑自然は充電してくれますね。
私たちの心が動くのは、外側のできごとや、対人関係に起因することがほとんどです。(毎日、天国みたいな所にいて、嫌な人も困った出来事も起こらなければ、感情は動かないでしょう)
特に今回のパンデミックで、政府の対応、人々の価値観など、今まであまり見えなかったものが浮き彫りになってきて、感情を揺さぶってきます。
ここで、正しい、間違えている、と裁くことや、批判することや、説得することは、漏電ではないでしょうか。
(公のため、という意識の元に行うなら別ですが)
私は20代の時に、仕事でどう考えても相手が悪いと思えた出来事にぶつかり、知識も体験も不足していたので弁護士をはさんで、完了したことがありました。
相当に辛くて、それは色んな感情を味わいました。
最後は「別に正義が勝つわけじゃないんだな。キリストも磔になったわけだし」とドライな感覚になったものです。
この時 我ながら偉かったと思うのは、相手を攻撃しなかったこと。
どう行っても平行線だから仕方ない、という諦めもあったし、泣き暮れた後で少し冷静になって、「戦ったら同じ土俵に立っちゃうから嫌だな」と思ったんです。
仕方ない。1人1人違うんだ。それぞれの正義があるのだから、自分の色に塗り替えるのはおこがましい。
私は私の道を行こう。
そう思って、借金をしてお金でカタをつけました。
色んな人に真相を聞かれましたが、「考え方が違ったので」としか言わなかった。
相手を打ち負かそうとエネルギーを使うぐらいなら、新しい何かを始めることに使った方が良い。
その時に、小さいながら発電する選択をしたおかげで、たくさんの方と交流することができました。
交流電気が入れ替わる波の回数のことを周波数と呼びますね。同じ周波数で感応する人が交流すると、新たな景色が描かれます。
強要するでもなくただ放つ。楽しんで「表現」していれば、共鳴の世界ができていく。それは、希望に満ちた事実です。
ノイズだらけの電波はキャッチしないのが良いけれど、
社会生活の中で影響を受けてしまうときは、ある程度のところでスイッチをオフにして。
眩い光や、美しい音色に変換していく。
そんな自由自在さを持てたら良いなと思っています。