心のめがね。

  2022/04/25  幸せのヒント

雨季は3月くらいまでという認識をくつがえし、4月の後半、ざんざん降りの雨が続くケアンズです。

小学生の頃、雨に濡れると頭がはげると言われていて(川崎に住んでいたから公害のせい?)、雨に濡れることが嫌いになりました。

ケアンズに住むようになった当時、ほとんどの人が傘を持っておらず、濡れながら裸足で歩いているのに大層驚いたものです。

小雨のことを英語でシャワーというのですが、浴びるのが気持ち良いとでもいう風に見えた。

子どもが生まれてからは更にびっくり。土砂降りの中、ずぶ濡れになりながら楽しそうに遊ぶんです。芝生の上でスライディングしたり、口を開けて雨を味わってみたり(笑)。

 

ケアンズの小川

ジャングルの中にひっそり流れる小川見つけました

 

あ、雨があがりました。

低い雨雲が山肌をゆっくりとなでながら動いています。

薄布のカーテンが静かに開き、潤った翠色の樹々が顔を出す様はドラマティックでもあり、幻想的でもあり。うつろいゆく時に対する愛おしさを募らせます。

私たちは、思い込みのメガネをかけて生きているのだなあとぼんやり思いました。

雨は不快、という私のメガネを外してくれたのは、ケアンズの人たちや子どもの姿。

できごと、人間関係etc. 事実は一つ、捉え方は千差万別で、いい悪い、好ききらい、優劣、勝ち負け。。すべて自分がかけたメガネが見せているのですね。

私たちは、本来 “裸眼”で、ありのままが見える存在だったのに。

土地に流れる風習や、家庭や友達の影響や、一般常識という曇りが重なって目がかすみ、メガネが必要になってしまいました。

今 見えている全てはメガネを通して映されているイルージョン。

その幻の中で、幸せに生きたいと私たちは もがきます。

本屋さんやインターネット上に出回る、幸せに生きる様々なハウツー。

全てが薔薇色に見える、ハッピーなサングラスの掛け方を説く人もいる。

メガネの曇りを拭く方法を説く人もいる。

色んな教えがありすぎて混乱したり、実践してもうまく行かなくて心を閉ざし、外界を見ないようにする時もあるかもしれない。。

 

ケアンズの小川

 

そんな時大切なのは、どんなメガネをかけるかではなく、メガネを「外す」ことではないでしょうか。

私たちは「ありのままを観る眼を持っている」ことを思い出す。

仮に不本意な状況が目の前にあったとして、ピュアだった幼少のころのあなただったら、どう感じ、今のあなたに何て言うでしょう?

「ごちゃごちゃ難しいことは分からないよ〜。やってみたら?」とか、「だったら辞めなよ」とか「そんなの変だよ」とか、無邪気に言うかもしれませんね。

彼らはメガネを持っていないから。

 

またまた雨が降ってきました。

先ほどまで見えていた遠くの山は、薄灰色の雲に覆われ、見ることができません。

近くにある木々だけが、雨に打たれて、その緑を益々輝かせています。

ただただ静かに、シズクを受け止めています。

雨が上がった頃には、枯れかかっていた植物は蘇るでしょう。

あらがわない。

いったん、そのままを受け止める。

この雨が大地を洗い清めているように。

心のメガネを外した時、私たちはより澄み渡り、状況を俯瞰できるようになるのでしょう。

 

お花

先日の誕生日にフローリストのAyumiさんよりいただきました♡サロンが華やぎます。

 

老眼鏡が手放せない私ですが(汗)、心のメガネは外している時間が少しでも長くなるよう努めています。

半年前に始めたヘッドスパサロンでは、世界的企業が社員教育に取り入れているというマインドフルネスという言葉とは逆に、マインドエンプティネス 〜 「空」になるひととき 〜 を演出する。。という願いもこめました。

現代人の私たちは、日々 知識や情報などを詰め込んでいるけれど。

心のメガネを外して、ありのままを受け止める静寂な瞬間が増えたら、安らぎと幸せに満ちた私たちに戻れると思うからです。

そして、そんな瞬間を持つ人が増えることは、そのまま、安らぎと幸せに満ちた世の中という形に映されていくと信じているからです。

 

今日、オーストラリアは、ANZAC DAY。国を守るために戦った戦士の方々の魂に敬意と感謝を捧げ、鎮魂をする祝日です。

先人が、後世のために命をかけたもの。それは、人々が幸せに暮らす平和な世の中ではなかったでしょうか。

世界や身の回りをとりまく状況を嘆くより、心の平安を取り戻し、周りの人と仲良く暮らすことは、命のバトンを受け取った私たちが、先人の想いに報いる行為であると私は思います。

– Lest we forget-.

幸せのヒント

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