K’s ヘッドスパを形創っているコンセプトを改めて。
2022/12/11 やまと精神
2022年が終わりを告げようとしています。
無我夢中で働くうちに時間が過ぎてしまいましたが、ビジネスに関するお問い合わせをいただくこともあるので、最近になってウェブサイトに初志を綴ってみました。
日本語でも言語化してみようと思い、このブログを書いています。
美容業界とは無縁だった私がなぜヘッドスパサロンをオープンしたのかと言えば、初めて伊勢神宮を訪れた2011年に遡ります。
当時は父をなくした直後。ビジネスも譲渡して無職、家庭もうまくいってないという、心にぽっかり穴が開いた状況で、なぜだか手を合わせて浮かぶのは「日本復興」という言葉でした。
東日本大震災の後だったこともあるかもしれませんが、そんなこと考えたこともなかったから自分でも不思議で。
その後次第に、「やまとの精神」を体感できる場を創りたいという思いが湧き上がってきました。それが何なのか見当もつかないのに、です。
何年も経った去年、ヘッドスパだ!と直感し、その半年後〜コロナの真っ最中にK’sと名付けたサロンがオープンし、この10月、お陰さまで1歳を迎えることができました。
思うんですよ。あの時、伊勢神宮で浮かんだ言葉「日本復興」は、経済や町並などのことではなく、古代から日本に流れてきた「スピリット」のことだったんだと。
パンデミック、前首相の暗殺、戦争。。
非常に混沌とした状況が、「平和」は、命を脈々とつないでくださったご先祖さまや、心ある人々、生かしてくれている全ての計らいのお陰様で保たれていた、有難い状況だったのだと痛感させてくれました。
そして、他人任せでなく、「平和な世界を意識的に創ってゆく」には、私たちのDNAに眠る「やまとの精神」が必要なのでは?という想いにかられ、それまでぼんやりとしていた願いが一気に形になったのです。
別にヘッドスパでなくても良かったかもしれません。
ただ、普通は見えるもの(髪)を見栄え良くすることに意識が向きがちなのに対し、見えないもの(頭皮)を清らかな状態にする、という発想自体とても日本的であると感じました。
ウンチクを語るより、五感で受け取っていただく方がパワフルだから、体感型の仕事をしたいという想いにもぴったりだった。
私が、K’sというヘッドスパサロンを通してお届けしたいのは、
頭が空っぽになって、
心身魂と源が調和する空間と、
あるがままの美を慈しむひととき。
それは、「時空を超え、命を祝福しあう調和と安らぎの世界」を目指すゆえの願いです。
サロンの運営全体の指針は、茶道の「和敬清寂」より、Harmony, Respect, Purity, Serenity。
お客様への接し方、施術の流れ、空間創り、予約の取り方、施術中のしぐさ、扱う製品など、この4つの美学から離れないことを意識してデザインしています。
壁は、麻炭を混ぜ込んだグレーに塗りました。
訪れた方が、麻炭が持つ調和と喜びのエネルギーに満ちた空間に包まれること。
白でも黒でもない、中間にある灰色が放つ、限定されないやわらかさを感じていただくこと。
言葉にうまく出来ないけど、なんだか落ち着く。深呼吸ができる。。森のような空間であれたら嬉しいです。
具体的な施術に関しては、ある結果を目指して何かをする、という西洋的な考えはあまりしっくりこなくて。
心地よい瞬間を積み重ねていただいた末、気付いたら頭がすっきりしていたり、視界が明るくなっていたり、髪がまとまるようになってた。
そんな、ふさわしい結果がやってくる自然な流れを重んじたい。
ですから、技術にこだわったり、こうしてあげたいといった思惑を指に乗せないように、こちらも空になって、お1人お1人に向き合うことを大切にしています。
フケやら薄毛やら、何か悩みを解消したい方がいらした時は、電気を流したり、化学薬品などを使って人為的に結果を出す試みはしません。
頭皮や髪を、本来の元気できれいな姿に戻すために、「適切なお手入れ」をさせていただく、という考え方です。(お手入れ、手当てという言葉もとても日本的)
商売としてはうまくないかもしれない。でも、サステイナブルで、身体も地球も嬉しい在り方を選びたいのです。
ちなみに、K’sの施術内容や、プロダクト選定の参考にしているのは、他のエステやヘッドスパサロンやヘアサロン ではなく、なんと「自然農法」なんですよ。
農薬も、肥料も使わない。植物本来の力を信じて、土を適切な状態に保つお手入れをする〜 日本が世界に誇れる農法です。
頭皮を土に見立て、美しく元気な作物(髪)が実るのに何が必要で何が不要なのか、少しづつ試している最中です。
ついつい、たくさんの情報を頭に詰め込むことを頑張り、自然や周りと調和することを忘れ、人と比較して今の自分に満足できず、終わりのない高みを求め続けてしまう私たち。
でも、奥底では分かっているんですよね。何か違うと。。
空、調和、既に在るを慈しむ、は古来からの日本的な在り方だからです。
今回のサッカーワールドカップでは、個々の選手がチームへの貢献を考えてプレーしていること、国民に新しい景色を見せたいという共通認識を持っていることなど、常に「全体を想う気持ちが溢れていた」ことを感じて心が震えました。
球場でゴミを拾うファンの方々、更衣室をきれいに掃除して、サンキューカードをその国の言葉で書いて去っていくチームの姿も、世界中の人々の称賛を浴びています。
それって、受けを狙っているわけでも、強制されているわけでもなくて、次の人が気持ちよく使えるようにとか、その場や時に感謝するという、日本人が普通に持つ感覚が生む ふるまいですよね。
自分は正しい、相手は間違えている、そんな裁きはせず。相手を変えようともせず。
全体にとって良いと思うことを、自らが淡々と行動するのが本来の日本人の姿。
(例えば五箇条の御誓文などを見ても、明治天皇「御自ら」率先して行動すると誓約されています。)
どんな場所にいても、日本人1人1人が、こんな風に「やまと魂」を自然体で発揮したら、世界は平和に向かうと信じています。
私も、今日のブログに綴ったような、始まりの気持ちを忘れずに、当たり前ではなかった平和で安心できる世界を次世代に残すために、日々努めます。
とは言え、根性忍耐の昭和ではなく、今は令和ですから、気張らず、軽やかに。
相変わらず、将来どこで何をしているか想像できませんが(笑)、来年は、世界観を共有できて、響きあえる方と一緒にお仕事ができたら良いなと思ってます。