外から見える日本の素晴らしさ
2019/09/03 やまと精神
約1ヶ月過ごした日本から帰ってきました。
色々な所を旅したり、素敵な方々にお会いしたり、家族と過ごしたり、講座に出たりと毎日濃かったです。
面白かったのは、あまり予定を決めていなかったのに、思いがけない楽しい展開になっていったこと。
どなたかの家に泊まるなんて、今までしたことがありませんでしたが、お声がけいただいてお邪魔したり。(地元の方と一緒でないと行けない場所にも連れて行っていただき、本当に有難うございました!)
マンションのゲストルームを予約していただいて、初神戸をリッチ&暮らすような気分で過ごせたり(笑)
ひとり旅しようと思っていた淡路島を、ご一緒いただいて、旅館や美食を2人で満喫したり。
誘っていただいて富士山へレンタカーで珍道中したり。
息子はブリスベンで就職、娘は大学入学でシドニー暮らしと、今年から環境が変わりました。
今までは子ども達と一緒に日本へ行くことがほとんどだったので、1人だと違う景色になるんだなあと思いました。年を取るのも悪くないですね。
お陰で、各地にある神社もお参りできました。
連れて行っていただいた、神戸の湊川神社、富士山にある浅間神社。行ってみたいと願って訪れた信州の戸隠神社、火之御子社、淡路島の伊奘諾神宮。。
神社って本当に特別です。
威厳に満ちているけれど、誰でも受け入れてくれる包容力があり、粛々と自分に向き合える。
懺悔や教えを乞う訳でもないし、祀られている神様も神社ごとに違いますし。他国の宗教的な建物とはまるで在り方が違います。
鳥居をくぐり、参道を歩き、手水で禊をして心身を清めてからお参りする。この行為自体が見えないものに対する敬意に満ちていて、清らかな心持ちにしてくれます。
意味を知らずとも、行為を通して天につながることを普通に、自然にしてきた日本人。
お参りだけでなく、日常の習慣のあちこちにそれが散りばめられて、受け継がれている。
言葉なしで大切なことを伝えていく日本の智慧はすごい、とこの歳になって感じ入った次第です。
それぞれの土地で感じたこと、受け取ったことは別ブログで書きたいと思いますが、総じて日本で暮らす方や、日本文化の素晴らしさを体感する旅となりました。
(逆に違和感を感じたのは、ビニール袋の使用量&自動販売機の多さと、似たようなテレビ番組、どこに向かっているのか不思議なスピード。。かな)
導かれるように訪れた先々で、今後やってみたいことのヒントともたくさん出会いました。今は雲のようにふわふわ浮いていますが、きっとベストなタイミングで形になるでしょう。
「和の精神をオーストラリアで伝えていく」という、今年の初め唐突に思いついたミッションの源泉も今回の旅でわかりました。
誰かから喜ばれたり、称賛されないと自分(や文化)の良さはなかなか気づけませんよね。
人生の半分以上、日本の外で暮らしてきた自分には、「持っている素晴らしさに気づいて〜!」と揺さぶる役割があるのかもしれない、と思ったんです。
東日本大震災の後、ケアンズで行われたチャリティイベントに、どれだけ多くのオージーが自発的に動いてくれたか。街中でどれだけの人が、個人的に関わった日本人の素晴らしさを語ってくれたか。
その話をすると、いつも熱くなる自分がいました。
心の底に「日本の人にもっと誇りを持って欲しい」という強い気持ちがある。ちょっとおこがましい表現だけど。。
思えば、よそ者目線で、いいと思ったモノコトを伝えたいと言う欲求は編集者時代に留まらず、パウチという店や、ケアンズソウルジャーニーの立ち上げにつながりました。
表向きは分かりやすいように、また仕事として成り立たせるために「◯を使うとこうなります」「◯へ行くとこんな体験ができます」など、お客様のメリットをうたっているけれど、
パウチは、「作り手さん」が誇りを持って仕事を続けられるように、壁画ツアーは「アボリジニの人たち」が自分の文化に誇りを持てますように、と願いながら運営していて。
底に流れるのは、尊厳を立ち上げたいという想いだったんだ、と今回再認識しました。
普通、ビジネスはお客様の利を考えるのに?なんか複雑だなあと、間で揺れてきた自分。
一方で、モノコトの背後にある見えない何かに響く方は必ずいると信じている自分。
誇りと共に作られた何かは、買った方の心に触れ、双方の協同作業によって、喜びが増幅すると感じてきた自分。
そうやって価値あるモノコトが続くこと(サステイナビリティ)を祈っている自分がいることを知りました。
欲を言えば、自分自身も時代が変わっても形を変えて残る何かを創れたら、と思います。
近年始めた、生命の樹セッションや、個人ビジネスのお手伝いは、お客様と直接関わるので、架け橋的な仕事とは違うけど、既に持っている美徳に気づいて開いていただきたい。尊厳を立ち上げていただきたい、という願いは同じだとも。
お盆の時期でもあったし、終戦記念もあったりで、ご先祖様や自分自身や国について想いを馳せていたから出てきた気づきかもしれません。
明石海峡大橋を渡って(後で調べたら、世界最長の吊り橋なんですね)、日本発祥の地とされる淡路島へ直感で赴いて。
何と何をつなげるかは変わっていくとしても、架け橋的な立場に立って場を創る仕事を、ずっとやっていくんだろうなあと、ぼんやり思いました。
つなげると、自分をスキップされている気がして、虚しい時もあったけど。
自分なりの美学に基づいて、何と何の間に橋をかけようと考えるところにクリエイティビティが光ると思ったら、楽しい作業です。
行き来したいと思ってもらえるような橋であることも大事ですね。
どこに行っても安全で清潔。(席を確保するためにバッグを椅子に置いていくなんて考えられないことです!)
人は誠実で洗練されていて、食べ物も美味しくて。何より、無意識のうちに大いなる存在を崇める暮らしを続けてきた日本は、本当に素晴らしい国です。
選民意識とか、そんなんじゃなくて、普通に自分の国が大好きって言える人が増えたらいいなと思います。
ルーツにしっかり繋がっている人は、安らぎの中で物事を生み出せるから。
そして、それは、世の中を照らすから。。!