未来につながる今を刻む。アウトローを受け入れ続ける月の光の開拓者・ジェフ ゲスト氏
2020/01/11 天職・魂が喜ぶ 天分ビジネス
2020年が始まりました。
年明けも静かに巡る季節の一点に過ぎず、ただ「今」を生きるだけ。そんな空気が流れる場所で。
灼熱の太陽と、見渡す限りのブッシュに囲まれ、電波も届かない場所で。
命と向き合う数日間を過ごしました。
ケアンズから車で2時間と少しの別世界。繰り返し繰り返し、人々を受け入れ育んできた、偉大なる方がそこにいます。
齢93。アボリジニの血を引くジェフ・ゲスト氏。
午後の日射しを背に受け、「やあ、よく来たね。君のことを聞かせておくれ」と満面の笑みで挨拶してくれたその瞬間に、心がほぐれていきました。
「調教してみるかい?」と、その日の朝に連れてきたという、野生の馬のいるパドックに招き入れてくれ、恐る恐る近づきます。
「馬の目を見て。一歩前へ。馬が一歩後退りしたら、そう。止まって。今度は、後ろへ下がって。ほら、段々と馬が君の動きに合わせてきた。」
全力で走る馬から馬へ飛び移り、近くで採れる錫からバックルを作り、牛の革で鞭やサドルを作る。
今ではほとんどいなくなってしまった、開拓時代からの知恵をそのまま生きてきた、真のRinger。
隣で馬を引いていた男の子のこと、ジェフの人生の物語を少しづつ知ることとなり、私はあの午後、日射しを背に受けた、馬の立髪の黄金のきらめきを胸に刻もう、と思いました。
ジェフの家には、常に多くの人が出入りしています。
1年ぶりにバッタリ道で会った友人に誘われてやってきた私は、どんな所かもどんな人かも全く知らなかったのですが、これまで数えきれないほどの、アボリジニの青少年を保護してきた方なのでした。
(資料を読むと、1995年時点で4000人以上と書いてあります)
今は亡き妻ノーマさんと、アルコールやドラッグなどで生き悩む青少年を引き取り、寝食を共にし、彼らに馬に関するあらゆる技術を教え、巣立たせてきたのです。
「規則正しい生活をして、自分に自信が持てたら、社会に出ても応用が効くようになる。」。。この活動は、シンプルで温かな信念の元、続けられました。
ジェフ夫妻がフィーチャーされた、オーストラリアのドキュメンタリー TV番組60 minutes。
馬を休ませながら、彼が子ども達に語るシーンがあります。
「いい放牧場を自分で選ぶんだ。白人じゃないばかりに辛いことも起こるだろう。でも、トラブルがおきても乗り越え方を知っていれば、良い方向へ進む」。
あなたのことを本当の父親のように全員が感じているようだよ、とレポーターが伝えると、「子ども達には何も強要できないから。そう思ってくれていると知れて嬉しい」と感無量の表情。
子ども達が警察に保護されたり、何かトラブルを起こすと一緒に涙する、とも。
なぜ、この年になってもリタイアせずに活動を続けているの?と言う問いには
「やることがたくさんある。オーストラリアという国が好きだ。
オーストラリアの未来を作る子ども達のために、やることがたくさんあるんだ」と答えています。
嘘偽り、飾り気が全くない、シンプルで真っ直ぐな言葉が、
目の前に広がる乾いた大地の上を
砂埃と一緒に吹き抜けて行った気がしました。
「オーストラリアが好き」。その言葉は、彼自身が体験した壮絶な過去を浄化したからこそ言えることです。
アボリジニの母親を持ちながら、白い肌で生まれたジェフ。
アボリジニの子どもを家族から引き離して白人が引き取り教育させた、Stolen Generationと呼ばれる世代の1人で、本当の家族を知りません。
もらわれた先はとても厳格で、何度も鞭で打たれ、気絶したことも。
彼は、この時のトラウマで「言葉」を失いました。
喋ることができないまま数年が経ち、9才の時、着のみ着のまま家出。次に引き取られた家庭で、次第に言葉を取り戻したと言います。
いつも側には馬がいて、馬を使う技術がその後の人生を救ってくれた、と教えてくれました。
雨の日に、新居から家財も、自分たち自身も外にほっぽり出されたり。(奥さんも子どもも完全に黒い肌をしていたから)
共同で商売をしていた人に騙されて、全てをはぎ取られ、身一つでブッシュの中で生き延びなければならなかったり。アボリジニの青少年を引き取っていた家の馬が殺されるなどの、ひどい嫌がらせを受けたり。
信じられないような体験を語る時も、相手を悪く言う言葉は出てきません。
自分が信じていることに真っ直ぐ集中している人は、周りを恨む心が入り込む隙間がこれっぽちもないのだ、と目が覚める思いでした。
ひどい仕打ちを受けたことを嘆くどころか、
「自分は、見かけが白人のようだったために、随分得をさせてもらった。同じ仕事をしても、黒い肌の人より何倍も多く給料をもらえたんだ。だから罪の意識があった。」とまで言うのです。
「人間は、皆 平等に扱われなくちゃいけない」
年季の入ったランドクルーザーで連れて来てくれた、ジェフの長年の友達シェーンによると、世話になったアボリジニの人たちは、皆ジェフの名前を聞くだけで笑顔になるそうです。
「ああ、親父はまだ元気か?あの時間は、人生の中でも最高の時だった」と。
ボロボロのコテージ。大鍋がいくつも無造作に置いてある壁のないキッチン。ベッドルームには、服やタオルが山積み。
多い時は、30人が共同生活していたという名残があちこちに見られます。
「グレートアンティ」と皆から慕われたノーマさんが、ここで毎日子ども達のご飯を作り、シーツを洗い、甲斐甲斐しく世話をした光景が目に浮かびます。
93才になったジェフは、自ら馬に乗って外に出ることはなくなり、ノーマさん亡き後ファームは変わっていきました。
私たちが行った時、滞在していたのは他に5人。
はにかみながら、少しおしゃべりしてくれたティーンエイジャーの男の子の、若いおばあちゃんジュリー(仮名)が、キッチンで洗い物をしていた時ショッキングなことを語り出したのです。
「あの子は、父親が首吊り自殺したばかりで、トラウマの中にいる。母親も手がつけられずに出て行ってしまった。だから、私がインターネットでここを見つけて連れて来たの」
。。なんと言って良いかわからない。
心の傷を持つ人。生きる希望をなくした人。社会に適応できない人の闇の深さを知る由もない。狭い見識で世間を見ていた自分を恥じました。
同時に、そんな人々と淡々と向き合って来たジェフの凄さを知ります。
「ジェフは、マザーテレサみたいだ。誰をも受け入れ、いつも自分ができることはないかと助けている。いるだけで人をインスパイアする、真のヒーラーだ」とシェーン 。
一緒にアルバムをめくっていたジュリーは、繰り返し言いました。
「I just love him. He is just phenomenal.」あんな素晴らしい人はいない、と。
「政府は、この環境で青少年の面倒を見るのは違法だと言う。彼の助けを必要とする人が後を絶たないのに! 彼は、政府からの援助金は一切もらわず、今も牛や馬や、人々にご飯を与えてる。もうこんな年なのに!」
ジェフのアクティビティは、馬を中心としたものから、栄養(日々の食事)の大事さを説くものに変わりました。
「どんなに大人数でも、いつも一つの食卓を囲んできた」。
長年の活動を通して、食べ物は人々をつなげるだけでなく、身体や思考・在り方に大きな影響を与えることを体験し、研究を進めていったのです。
ジェフのところでは、小麦粉、白砂糖、白米は禁止。
「鵜呑みにしないで、自分で考えるんだよ。」と前置きしつつ、分厚い専門書や、関連本を引っ張り出して色々なことを教えてくれました。(小さな文字を読めることも、どこに何が書いてあるかすぐにわかることも驚き!)。
今は、人々を受け入れるだけでなく、大学で講義したり、僻地のアボリジニ居住区に赴いてワークショップをしたりと、日々の食事から健全な心身を取り戻すことを精力的に伝えているジェフ。
アボリジニが大事にしてきたブッシュメディスン(薬草)の知恵も豊富だからこそ、現代の食に対する違和感を感じているのかもしれません。
「全員を変えられるなんて思っちゃいない。1人でも何かを受け取って、その人が周りに伝えていってくれたらそれでいいんだよ」
このブログを、蟹座満月の月光の元で書きながら思いました。
闇から浮かんだ存在だからこそ、月は
慈愛と共感の柔らかな光で、闇にいる人を静かに照らすことができる。
眩しくて直接見ることができない太陽と違い、
その凛とした姿を私たちの前に現し、心を映し出す。
ジェフの存在は、月そのものです。
「食べ物も水も、ここにあるものは何でも好きに使っておくれ。そろそろ寝るよ」そう言って、外にポン、と無造作に置かれたベッドへ向かうジェフ。
私たちが滞在した最終日、馬に踏まれた、と腫れ上がった足を引きずっていました。
夜中の1時でも2時でもかかってくる電話に応対し、朝は3時半から起きて誰かの相談に乗っている。
年齢も過去も飛び越えて、人は「今」を生き切れるんだということ。
一点に集中した命の輝きが、他の命の希望の光になるんだということ。
その希望は循環し、受け継がれていくこと。
私はジェフから教わりました。
彼の智慧、誠の言葉を記録したい。
自分も、生が呼応しあって次に続いていく物語を創る働きがしたい。
そんな想いに駆られています。
始めようとしている食の仕事とつながる、見えない伏線が張られているような感覚を、帰り道マンゴーの果樹園を眺めながら味わって。
出発前には予想だにしなかった何かが、心に芽生えたショートトリップとなりました。
ジェフさんが主催するNPO、Petford Wellness Association(募金もできます)