2018年、本来のお正月に。
2018/02/16 スローライフ日記
今日2月16日は、本来の1年のはじまりであり、旧歴元旦の新月です。カバラ〜生命の樹〜に出逢って、月のリズムを意識するようになったからか、新年の幕開けに伴い、新しいうねりを強く肌で感じています。
2018年は、日食もあり、新月、旧正月と「始まり」を象徴するものが3つ重なりました。
昼は、会計事務やら、日本からいただいている旅のおしごとやら、美容サロンのグラフィックデザインやら、翻訳のしごとやら、まったく異なる業界にいる方達とやりとりして、数字も日本語も英語も国際電話もメールもメッセンジャーもごっちゃまぜ(笑)。
ひといきついて、本当の意味での元旦に
わたしの新月の願いは何かな、2018年どんな風で在りたいんだろうとぼーっとしていたら。
「天と地の間をきれいに。」
夜だと言うのに重厚な音を重ねていたセミたちが、ピタッと止まったその時。新月の漆黒の空にまたたく星たちが放つ細やかな波が、言葉となって心に滲みて来ました。
えっ「間」?
よくわからないけれど、想念のようなもの?天と地、見えないものと見えるものの間。。行動もそうかな。
「自らが清らかであれ。
常に動いて、よどまず
こだわりを持たず。
清らかな流れになるのだ。
その流れを大きくしていくのだ。」
大きく?と思った瞬間
「疑いを持つな。」と言葉は続きます。
「人々が憩いに来る、美しく清らかな川であれ。
純粋さもエゴも欲望も全て受け入れ受け流す、川であれ。
それがあなたのしごとだ。」
「来るもの拒まず、去る者追わず」をずっとしてきて、利用された気になって悲しくなったり、エゴを受けて重くなることもあるけれど、わたしは流れ続けいればいい。
流れるものと言えば、涙もありますね。
涙は、弱さでなく、自分の中の、崇高で強い部分と触れたときに流れるもの。
流されず、流れる。
それは、意志(強さ)を持ちながら、自らも周りも清める行為なのだと思います。
澄んだ水にからだを包んでもらったり、眺めているだけで、どんどん余分なものが落ちてゆく。その感覚がたまらなく好きで、時間があると、美しい水を求めて川や滝に赴きます。
水の流れは、一時として留まるものはなく、全ては移り変わること。「今、ここ」に光が射していること。自分を重くする、固執するものから自由になりなさい、と教えてくれます。
人は、常に新しくなれる。
。。炭酸水を一気に飲み干し、お腹がすいてきて冷やしてあったパパイヤを食べました。それにしても、今日は暑い。(うちのエアコン壊れてて)思考は停止。
2018年は、動く。
色々な所で流れている清らかな川が合流して、
更に多くの命が活性化する。
せせらぎの向こうに見える景色が変わってゆく。
そんなイメージが鮮明に浮かんだ元旦の夜でした。