孤高の静寂より。
2024/04/03 スローライフ日記
私のヘッドスパサロンには、空間を格上げしてくれている素晴らしいアートが飾られています。
作家は、Hiromiさん。
同世代で、お互い長くケアンズに住んでいます。
私は彼女の作品が前々から大好きで、サロンの内装が終わったとき、ここにHiromiさんのアートがあったらどんなに素敵だろうと想像しました。でも、開業してバタバタして忘れていたんです。
そんなある日、ヘッドスパを受けに来てくれたお友達から、今度レストランで生演奏をするからぜひ来て!とお誘いを受けました。
普段、人が集まるところにあまり出向かないのですが、なぜか行ってみようと思い、偶然にも隣に座ったのがHiromiさんでした。お会いしたのは何年ぶりでしょう。
お互いの近況で盛り上がり、演奏の後でサロンを見に来てくださって、なんと作品を飾ってくれることになったのです。
そして先日。
久々という個展にうかがいました。
足を踏み入れた途端、Hiromiさんワールド。
きれい。濁りがない。そう、どこまでも澄んでいるんです。
サロンに飾らせていただいている、折り紙を使った作品はもちろん大層素晴らしいのですが、最近なぜか始まったという「円」の作品に圧倒されました。
何かに取り憑かれたかのように、無心で、時間が経つのも忘れてひたすら描き続けたのだそう。
何を描こうとしているのか、自分でもわからない。ただ手が動くままに。時には大泣きしながら。
気づいたらできていた、という作品たち。
アートの素晴らしさは、観る人がそれぞれの感性で自由に解釈ができる “間” があること。以下は、今の私が感じた風景になります。
限りなく清らかなブルー、水、いのちを生かす水。
静寂の中でうごめく細胞。
鼓動、いのちのリズムが聴こえます。
そんなミクロの世界と、太古から脈々とつながれてきた、いのちのバトンという、時空を超えた流れ。
2つの世界観が美しく織りなされ、
この身体、この私、
全てが流れ入るこの私に立ち還らせてくれる。
なんと贅沢なことでしょうか。生を受けているということは。
祈るような気持ちで、作品を観ている自分がいました。
このゴールドに私が見たのは、光り輝く膜、です。
それぞれの働きを持つ細胞を優しく包む細胞膜。
一つのかたまりが一つの働きを為す。
それらが集まって、より大きなダイナミズムを生み出す。
体内のようでもあり、地域のようでもあり、国のようでもある。
共創、響奏。。
各存在の役割を明らかにしてくれる、
やわらかくも重みある境界線が、
神聖なままでいられますように。
漆黒、深遠、孤高の静寂。
うねり重なり合う丸の先は、ブラックホールのよう。
吸い込まれるようでもあると同時に、内側から強烈な何かが放出されている感覚。
地上のどろどろと混沌としたものをかき混ぜて国を造ったという、古事記のイザナギとイザナミの神話を思い出します。
漂っているものが一つの形として生まれ出るさま。
真のクリエーションは、闇の中から出づる。
創造されるものは、光。
闇から放出されることで
パワーはより強く、大きく、自在に。
両極を包括しているからこそ、本物。
「創造の源」のエネルギーは
畏れ多くて、崇高で、でもどこか懐かしい。
。。私たちのハートの奥は、この場所につながっているのかもしれません。
円が連なる最新作たちは、意図もイメージもなく、どんな仕上がりになるか想像がつかないまま、無心でいるうちに手が勝手に動いてできた、とHiromiさんはおっしゃいました。
我欲なく、我を忘れて没頭できるものを持っている人を通して、宇宙はメッセージを届けようとする。
そんな気がします。
子どもの頃、時が経つのも忘れて何かをしていたことありませんか?何かの得になるからとか、考えることなく。
大人になると色々と制限が出てくるけれど、童心に戻って結果を求めず、何かに夢中になる時間を作れたら。そして、そういう人が増えたら。。
天の意思が、あちこちから舞い降りている地上は、どんなに素敵でしょう。
混沌とした闇のトンネルにいる感のある今の世の中、くぐり抜けている私たち自身も、抜けた先も “光” である、と信じたいです。
Hiromiさん、美しく豊かなひとときを有難うございました。