豊饒の地で密やかに守られてきたアボリジニの壁画

すべての始まりは遡ること1年前。

小西温子先生が、「来年の夏至、聖地で火を囲んで過ごすイメージがわきました。生命の樹リトリートをケアンズでできたら。。」とおっしゃった(スカイプ上で)。

実現したらいいですね、くらいだったのが、最後はあれよと言う間に色々なことが決まっていった。

そして1年後、本当に私たちは、手つかずの聖地で、言葉にしがたい体験をしていたのだった。夏至のイメージを語った、その前年に ”発見されたばかり”の大きな壁画を前に。

 

時間が未来から流れている。。

ミラクルや恵みが降り注いだ5日間で、どれだけのレイヤーを行き来したことだろう。

太古から今へ。未来から今へ。人と自然。近代文明と原始時代から変わらないもの。異なる言語。

日々、現れる自然界のキーワードに張り巡らされた伏線。

私は、その重なりを、壁画の中にも観た。

 

 

「古いものでおそらく2万年。新しいもので100年くらい前に描かれたものだろう」とガイドのジョニー。この壁画の発見者でもある。ここは、彼以外は案内できない、特別な場所だ。

時を経て重なり合う線と面。

文字が連なる厳粛な聖典ではなく、伸びやかで、様々な想像が広がるアート。

人々の想い。伝えたいこと。喜び。全てが時空を超えたレイヤーとなって、今わたし達の目の前に在る。

 

 

重ねることは、暗くなることだと思っていた。この壁画を観るまでは。

(恩師が重ね塗りを嫌い、代わり画材にこだわる人だったから。学生時代は、絵の具を求めるためだけに、銀座の月光荘に通っていた)

 

目の前の塗り重ねられた線と面が創っていたのは、透明感だった。

色の3原色を重ねたときに生まれるのが光であるのと同じように。

1つ1つが揺るがない色を持っていたら、重ねても混じって暗くなることはないんだ、と思った。

ただの光に、なる。

この、無限から来る透明な光を浴びていたら、

風に乗って、何万年という気が遠くなるような時を超えこの地域で暮らしていた人々の笑い声が聴こえてきた。

 

 

A Place of Abundance〜豊饒の地〜と呼ばれたこの一帯の人々は、祭り事を楽しんでいたという。壁画には、儀式用に飾り立てた人々も多く描かれていた。

温子先生の「謙虚に受け取り、共に豊かになる」という教えの世界観そのままに。

食べ物の心配がない豊饒の地で、人々は祈りと共に生きていたのではないかと想像した。

いつまでもこの平和が続きますようにという祈り。

生きることの喜びを表現する祈り。

 

 

祈りは透明だ。

自分というエゴが消え、全体と1つになる道。自然の恵みを受け取り、感謝に満たされた、透明な光の道。

それは真っすぐに天まで届く。

この日も、雲ひとつない空が広がっていた。

 

 

「ドリームタイムストーリー(伝説)は、白人がつくった言葉だ。俺等にとって、代々伝わる物語は、掟であり、生き方を示すものなんだ。」とジョニー。

親から子、長老から部族の人々に語り継がれてきたこと、壁画に描かれていることには、何万年もの時を経た今でも、スピリットが宿っているのを感じる。

人としての真っ当な生き方が、”熱” をもって受け渡される。

消し去ることなどできない。

 

 

1870年代、この近辺で金がみつかり、ゴールドラッシュが起こって一攫千金を狙う人々が世界中からやってきた。(これが起となりケアンズが始まる)

壁画の所々に見られる、線の質感の違いは、谷の向こう側で採れるオカー(顔料)を採りに行けず、近くの材料を使ってリタッチしたからだと言う。

「オカーは岩に染み込んで落ちない。でもリタッチされた線はじきに消えてしまうだろう」

 

 

この地のアボリジニの人々は、身を潜めながら、豊饒の地と、大切な壁画を白人に荒らされないように守ったのだ。

フェスティバルで有名なローラにある壁画には、(元々この地にはいなかった)馬や牛に乗る人も描かれている。

銃を持つ開拓者相手にアボリジニが槍で闘い、虐殺された場所も車で通った。

ここは、人々の息吹がそのまま残る奇跡の岩なのだった。

 

 

アボリジニの聖地を訪れると、何故だかいつも熱が出るか頭が痛くなる。「解釈しようとするな。」今回そんな風に感じた。

本当に大切なことは、思考を超えたところからやってくる。

自分の感覚で、自分の真実を受け取るしか、ない。

 

あえて言葉を探さなかった。

心に吹き込む風だけを感じよう。

 

ちっぽけな思考の余地もないほどの、ピュアな根源のエネルギーを前に、ただただ佇む。

 

 

壮大な時の流れをそのまま残す空間の前で、鮮明に浮き上がるのは、“今ここ” だけ。

過去も現在も未来も1つのレイヤーに重なる、祝福に満ちた感覚の中を漂った。

 

電波も届かないこの場所で、外からの情報を求めることも追われることもなくなって、内側が満たされてゆく。

 

カバラの教えの「既に在る。十分に満ちている」という言葉が、心に浮かんだ。

 

小西温子先生と

 

 

心から大切にしたい真理が、透明な重なりの向こう側にあった。

 

 

アボリジニの聖地・教え, ケアンズ・ソウルジャーニー

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