自由は自分の魂の中にある。幸せを感じたとき、本当の自由がやってくる。

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自由は自分の魂の中にあるのだ。いいかい。すべての人間は素晴らしく尊い存在なのだよ。

アボリジニのシャーマン CJのインタビューより

 

あー自由になりたい!って思うときありませんか。

私の場合は、子どもが小さかったとき。特に赤ちゃんのころは、何十分かかけて授乳して、「やっと寝た!」とすぐさま机に直行し、電話をかけたり、たまった原稿を書いたり。すると、間もなく「起きたよ〜」の泣き声。起きている間は遊んだり家事をしたりで、まあ自由な時間っていうのは、ほとんどない。

 

楽しかった一方で「子どもの手が離れたら、これもあれも出来るのに!」と思ってたし、焦りもありました。

もっと遡れば、父親がとても厳しい人だったので、早く家を出て自由になりたい!と思っていました。
「経済的に自立してたら、お伺いを立てずにこれもあれも出来るのに!」

 

振り返ってみると、「自由になりたい」と切望する自分自身が自分の心を縛り、こんな環境だからできない、と責めやあきらめを生んでいた。

 

 

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親に面倒をみてもらっている、可愛い子どもが元気に育っている、という現実は当たり前のことで、代わりに、目の前にない妄想=こうなったら、これができるのに!って、【IF】 に心が囚われてしまっていた。

赤ちゃんの天使みたいな笑顔、親が仕送りをしてくれたお陰で卒業制作に没頭できた至福の時間など、キラキラ光る幸せは既にあったのに

 

 

自由を望みながら、まったく逆の世界を引き起こすという皮肉さ

心を縛る。囚われる。これこそが、不自由。

現状に不満しか見いだせなかったら、自由は永遠に来ません。

 

 

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鬼のように残業して、休日もろくにない環境でも、仕事を楽しんでいるなら心は自由。

イヤでイヤで仕方ない。逃れたいなら、辞める選択、【状況を変える選択という自由】をあなたは持っている。

 

 

自由は、条件ではない。

置かれた環境の、どこに焦点を当てるか。

既に在る幸せを見つけられるかどうか。

感謝があるかどうか。

 

 

 

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CJ は、「自分を信じて、持っている力の偉大さを悟り、幸せを感じたら、本当の自由がやってくる。」と言います。

 

持っている力の偉大さなんて、私も実感できないけど、少なくとも「信じよう」とすることはできます。図々しく?「私はこんなもんじゃない。本当はもっともっと深くて広くて慈愛に満ちた存在だ!」と思えたら、きっと色んなことが許せて、心に幸せを感じる余裕ができるのでしょう。

 

だから、

自由になりたかったら、自由になりたい!という気持ちで自分を縛る前に、目の前の幸せを見つけて、「私は幸せだ」と思ってみるところから始めませんか?

 

心の鎖がほどけて、自分の中に青い空が広がってゆくことをイメージしながら。

自由な心になった、その場所から選択をしていくんです。

 

 

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「自分を絶対に否定するな。自分を信じて。

人生はマジックなのだ。

どんなマジックをあなたが持っているかはわからない。

けれども、自分自身が持つマジックに

決して疑いを持ってはならない。」

 

 

というCJの言葉を胸に。。!

 

アボリジニの聖地・教え, 幸せのヒント

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