人生のドラマの面白さ
2023/03/01 幸せのヒント
今日は3月最初の日。日本は立春を過ぎたとはいえ、まだ寒い日々のようですね。ここケアンズは雨季まっさかりで、雨がよく降っています。晴れの日は逃げ出したいくらいの暑さになりますが、雨のおかげで過ごしやすく。
新学期+自分の誕生月でもある4月は、私にとって、いつでも新たな始まりに胸ときめく月で、2〜3月は締め括り感のある静かな月です。ざんざんと洗い流してくれるような雨が、気分に合う。
私は、個人的な夢(こんな家に住みたいとか、こんな車が欲しいとか出世するとか)は昔からほぼないのですが、急に強い衝動が起きることがあります。
大学4年の時、急にインドに行きたくなったのもそれ。理由は特になく、ある朝なぜか行きたくなった(笑)。
幸いなことに、常識にとらわれず、やりたいことを応援してくれる親だったので、「なんで就職活動の時期に!」とも言わず、インドに毎年行っていた父の姉夫妻(日本でマタニティヨガを初めて提唱し、NHKで番組も持っていた産婦人科医師の叔父とヨガインストラクターの叔母)に会いに行くようにとアドバイスをくれました。
彼らの勧めで、ちょっと不思議な、仏跡を巡る3週間ぐらいのツアーに参加。
若かった私にとっては、頭が爆発しそうなくらいカルチャーショックの連続で、帰国後はバブルに浮かれた日本の姿がフェイクに写ってしかたなく、就職活動を進められなくなってしまいました。
後ろめたい気持ちを持ちつつ、何をしようかなあと考えていた時、10代の頃シドニーの美術館で見たアボリジニアートの衝撃を思い出して、本物の壁画を見に行こうと決めたのです。
これ以上親に迷惑をかけないように、働きながら旅行できるワーキングホリデービザを取って渡豪。今から33年前のことでした。
当時はずっと住もうなんて夢にも思わなかったのに、私はまだここにいます。
1つ1つの純粋な衝動が人生の流れを創ってゆくのだなあと、感慨深いです。
私の考えでは、わきあがる衝動や流れは、自身の魂の望みが用意してくれる現象。
(純粋な衝動かどうか見分けるのは難しいけど)
人生に明確な夢や目的を持っていないとしても、私たちは知らず知らずのうちに、自らの魂が望む「高み」に向かって引っ張られていく。
そう、得か損か、善か悪か、快か不快か判断する頭(脳)によって、やってきた衝動やご縁などを拒否しなければ、なりゆく方向へ自然と進むものなのです。
思考 or 魂/脳 or 肚。。何を羅針盤にするかで人生は大きく変わります。
衝動から行動へ。そして、流れに乗るしなやかさを身につけたら、きっと頭で考えるより、もっともっと面白いドラマが広がってゆく。
周りが就職活動に精を出しているときに、呆れられながらインドに行った自分、歯車の一部になってもらうと面接で言われて怖くなり、就職しない道を選んだ自分、インターネットもなく、情報が希薄だった時代に、僻地にあるアボリジニの壁画を巡る旅に出た自分。。
親には本当に心配と迷惑をかけたけど、自分の感覚に正直に、やりたいことをやった、若かりし自分を褒めたいです(笑)
ケアンズには自分の意志でなく、当時の英語の先生に連れてこられ、滞在中に出始めのAppleマックに出会い、日本で使い方を勉強したお陰で、再びケアンズに戻ってきたときに、リビングインケアンズという情報誌をマックで創刊することができました。
こんなシナリオは、自分では到底考えられません。
(これも衝動によって始めた)ヘッドスパサロンをさせていただく中で、頭をほぐしてリラックスすると、その方の素が現れるのを何度も見てきました。
入店された時はメイクばっちり、もしくは見かけに無頓着、早口でまくしたてていたような方も、仕事でお疲れの方も、終わる頃には顔色も話し方も変わってしまい、あれ、こんなに綺麗な方だったっけ?とよく思います。
髪も元気になって、ふんわりしたり、艶々になったり、あるいはまとまったり、何というのでしょうか、その方のあるべき姿、が鏡に写るんです。
脳をリセットし、思考を休めた時に「その方を その方たらしめる大いなる力」とつながり、本来の美が現れるのではないかと感じています。
そんな機会をクリエイトできるこの仕事は、やりがいがあります。
でも、先のことは またまた分かりません。
オーストラリアで暮らすようになって30年が過ぎてしまったけれど、次の30年は肉体は一層衰えていくし、この世にいるかどうかすら。。
今後は次世代にバトンを渡すという役割を意識して、個人的な目先の利益でなく「全体の幸せ」を目指し、わきあがる衝動をキャッチする素直な感性と行動できる健康を保てたら嬉しい。
非常な危うさを感じる今の日本に対して、自分の立場でできることは何だろうということも、よく考えます。
当時は大きな違和感を感じたバブルだけど、あの きらびやかさを謳歌した世代のバイタリティ、小さくまとまらない性質は、案外、今求められているかもしれないな、なんて。
急にこんなブログを書いたのは、きっとワーキングホリデー時代の友人とケアンズで再会したから。30年前と変わらない笑顔にタイムスリップし、いつも見ている風景が、若かったころの目線と重なって、時空を超えたような感覚に。
過ぎ去った時の重みと、忘れかけていた様々なご縁への深い感謝と、人生の不思議と、これからの生き方と、普段考えないような色んなことを味わいました。有難う!