誕生日を迎えて思う、幻想と真実と、命のつながり。
2017/04/17 スローライフ日記
今日はいつにも増して美しい。私が50年前に生を受けた日です。
お店のオープンやリニューアルも同じ日にしたので、賑やかにダブルバースデーを祝うことが多かったのですが、今年は静かに過ごしています。
肌にまとわるような、重く熱を帯びた空気がこのところ一変して、軽やかでさらりと透明な風を運んでくるようになりました。鳥のさえずりと波の音を聴きながら、自分が生まれたときに想いを馳せています。
私は恐かった。
この世に出るのが。
生まれたい、というよりも遣わされる気持ちでした。できることなら温かくて心地がいい場所にもう少し長くいたかった。
産道は狭く、酸素が十分でなくて、これから生まれるというのに死んでしまうような苦しさ。恐怖でした。(実際、産声をすぐに上げないブルーベビーだったそうです)
その後のイマジネーションは、初めての子どもの誕生に感激しながら、これから家族を支えるために頑張るぞ!と意を新たにする父や、気を失うほどの難産を成し遂げて朦朧とする母、初孫の誕生に胸躍らせる祖母。。と、周りの人達へ。
ああ、生まれてきて良かったんだ、と思いました。
それにしても、一体どれだけのご先祖様に、命のバトンを渡されて今の私があることでしょう。
私の中に流れる血には、それはたくさんの人生が詰まっている。顔も知らないけれど、確かに存在し、それぞれの人生のドラマを全うしたご先祖、そして家族に対する感謝がわきあがります。
自分の命を思うとき、同時に、それぞれの人がそれぞれの魂の記憶と、受け継がれた血を持ち、祝福を受けたことを思います。そんな私たちが出逢って影響しあう。誰もが、まぎれもなく尊い存在だ。。と改めて感じます。
私は、独りじゃない。
そんな想いを味わいながら外に目を向けると、真夏の日射しに比べて、少し和らいだ陽の下で、葉をそよ風になびかせたユーカリの樹がどっしりと立っています。
そう、今、生あるものは全て、同じ大地に立ち、この瞬間を共有しています。
自分というアイデンティティは、大地、
そして他の命とのつながりを感じるときに一層
ゆらぎないものになる。
目の前、そして心の中に広がる光景が全力でそれを映してくれているようで、ぼーっとしながら幸せの海に漂っていたら、ふっと、生まれる前に願ってたのかな?という言葉が浮かびました。
「大変なこの世にユートピアを創りたい」
え、ユートピアって何?
調べてみたら、それは『理想の国』。人が創る未来への意志を述べたもの。「美しい法」そのものの「社会」という意味でした。(一方の桃源郷は『ゆめのくに』。)
誕生の「誕」という漢字についても調べてみると。
「でたらめ、大げさな嘘、いつわり、気まま、そして言葉を真実を超えて延ばす」と言った語源で、ちょっと意外でした。
誕生とは、偽りの世界に生まれ出ることなのでしょうか。友人は、「眼に見えるものは全部イルージョンだ」とよく言います。改めて、生きる意味を思います。
ゆらめき移ろう幻想のような虚構のこの世で光る真実。
それが、命の輝き。
真実に還るために、私たちは、
自分自身や、大地、そして宇宙につながろうとする。
私が描くユートピア。それは
ピュアな自分を生きる人が、生き生きと暮らす世の中。すべての命をリスペクトしあう調和の世界。
自然界は、脇目もふらず、自分の命を全うしています。もしも桜が薔薇になりたいと思ったら、あんなにも潔くはかない美しさを魅せてくれることはないでしょう。それぞれの命は、進化を繰り返しながら、完全に調和がとれた生態系を作っている。地球の環境を乱しているのは人間だけです。
次世代に続く地球に貢献できるのは、1人1人。
他への依存も嫉妬もなく、喜びだけがある、赤ちゃんのようにみずみずしく、ピュアな自分を生きる人。大地にしっかりと立ち、自分の中に流れる血、そして生かされている環境への感謝と共に在る人。
そんな人間があふれる世界を夢見ています。
残された時間で、私ができるユートピアへの行動って何だろう。
自分の無力さに愕然とします。特に最近、あまり働いていない気がして、進みの遅さにいら立ちます。
でも、きっとドラマチックな変化があるのは、ものごとが終わるとき。お母さんのお腹の中で十月十日少しづつ大きくなって誕生の日を迎えたように、何かが生まれるときは、育みの時間と空間が必要なのかもしれない、と思い直して。
小さくても環をいくつも回したい。清らかな色彩の弧を描きたい。
これからは、「本来の輝く自分に還る」きっかけ作り、そして「命を生かし合う循環を創る」ことを胸に、しごとをデザインしていきます。
いただいた命であるならば、この後は、自分を、大いなる意志に明け渡す覚悟で進んいきたいと思うのです。
生まれた日=原点回帰の日に、心に刻んだのはそんなこと。
娘が焼いてくれた素朴なバースデーケーキが、いつもより美味しく感じた夜でした。