Message
ご訪問有難うございます。マーフィー恵子です。 私が30年以上暮らしているオーストラリア・ケアンズは、雄大な世界遺産の森と海、様々な文化背景を持つ大らかな人々、そして地球最古の森の守り人〜太古から続く智慧をたたえる先住民アボリジニが、自分らしく生きてもいいと静かに語りかけてくれる。 お互いをリスペクトしあうことが、次世代に続く在り方なのだと教えてくれる。 そんな、リアルないのちを感じられる場所です。 1人1人から、調和と安らぎの世界への道が開けると信じて。ここケアンズを拠点に、個々の存在を輝かすモノ・ひととき・空間を創ることを志して活動しています。 Keiko Murphy JC Creations Pty Ltd Director
Profile
1967年生まれ。横浜国立大学教育学部卒。伊藤忠ファッションシステム、朝日メディアインターナショナルを経て、1993年よりオーストラリア、ケアンズで暮らし始める。
日本語情報誌リビングインケアンズを1995年3月に創刊。16年間、発行人/編集長を勤め、HPは「ケアンズ」検索で10年以上トップ3にランクイン、メディアアワード受賞、オーストラリアを代表する日本語フリーペーパーとして日本の専門誌に紹介される媒体に育てた。希望者に日本で直接配布する新タイプのガイドブックも年間2万部発行。
機内誌や日本の大手ガイドブックなどへの寄稿、ケアンズを紹介する雑誌テレビなどのコーディネートを行い、個人商店から大手企業、政府観光局、航空会社まで幅広いクライアント2000社と日本マーケットを結ぶプロモーションを手掛ける。企画、デザイン、ライティング、翻訳をトータルで請け負う販促物を制作、バスのペイント広告、誌面連動イベント、商品開発など初の試みも好評を得た。
編集者時代に培ったつながりから、2012年4月にケアンズ産のいいモノを自らセレクトした「パウチ」をケアンズにオープン。作り手の想いを伝える地元密着型のショップ+ネイルやセラピーができる空間に。(2024年6月閉店)
2021 年、専門店としてはオーストラリア初のヘッドスパサロンをケアンズで開業。ライフワークとしてアボリジニの聖地を訪ねたり、リトリートを行うCairns Soul Journey、販促物デザインや生命の樹を使ったコンサルなどの個人ビジネスサポート、オリジナルジュエリーのリリースなど、枠にとらわれない活動を楽しんでいる。
著 書
Life Story
バブル期に大学生だった私。
大学4年生の春に、なぜかいきなりインドに行きたくなり、3週間主に仏跡を巡る旅をしました。この体験によって、22歳の自分が漠然と抱えていた幸せの概念が吹っ飛び、人生観がひっくり返りました。
中でも、自分の村以外を知らない人々の目が、恐いくらいに澄んでいたことが印象的で。比較のない世界〜足るを知る生き方〜が、いかに落ち着いた幸せをもたらすかを感じたのが大きかったです。「物がなくて可哀想」と思っていた自分がいかにおこがましかったか、身にしみました。
インドでのカルチャーショックが抜け切らない帰国後の就職活動では、「我が社の歯車になってもらう」と言うような面接にすごい違和感を覚えてしまい、就職せず。
当時なりたかった教師の仕事も、教育実習で「現場に入る前に、外の世界を見たい」という気持ちが強くなってしまい、教員免許を取っただけで、採用試験を受けませんでした。
大学にはヘッドハンティングも来ていたし、周りは一流と呼ばれる所にどんどん就職してゆき、私何やってるんだろう。。と焦りながら日々が過ぎ。
途方に暮れる中、学生時代にオーストラリアで衝撃を受けたアボリジナルアートをもう一度見に行こう、とふと思い立ったのです。
これ以上親に金銭的な迷惑をかけられないとワーキングホリデーを利用し、大学を卒業して半年後の1990年、ブリスベンに行きました。まさか、オーストラリアにその後20年以上も住むとは夢にも思わず。。
1年という期限付きだったので、なるべく地元のオージーと交流しようと努める中、日本とはまるで違う価値観にどっぷり触れて、自分という存在が解体されるような体験をしました。
ビザが切れた後は、日本でファンション関係やDTP制作会社で働き、1993年に結婚、移住。まだ25歳でした。
結婚した当時、ダンナが一等航海士で、貨物船の操縦で航海に出てしまったため、1年の半分は不在。
よくわからないケアンズで、日本語の情報誌があったらいいのになあと思いました。
物心ついたときから、絵本を片手にお出かけするような子で、文を書くのも絵を描くのも好き。作文が表彰されたり、文集委員をしたり、同人誌っぽいアートブックをつくったり。小学校の卒業時の文集に書いた夢は「編集者になる」こと。
そういえば、日本でDTP(本や印刷物の版下をマックで作る仕事)やってた。。と思い出し、誰もやらないなら、自分で情報誌を作ろうと決めました。
ワクワクと同時に、何もわからずコネもない、20代女子が起業したわけで、「外人、若い、女」の三十苦。何度泣いたかわかりません。
当時は会社や団体に勤めることが普通で、インターネットもなく、今のように情報が手に入らずに相当苦労して、逞しくなっていきました。
現地のクライアントさんの素敵なサービスを、いかに日本人のお客様に伝えられるかを真剣に考えているうちに、Your Window to Japanとして、販促物の制作やイベントやコラボ企画が生まれ、日本のメディア様からは、執筆や現地コーディネート、広告代理業などの依頼を受け、情報誌制作以外にも仕事が自然に広がってスタッフさんも増えました。
その間、2人の子どもを授かって。
脇目もふらず走り抜けた30代でした。
オーストラリア人との考え方の違いや経営上の悩みは色々なありましたが、仕事はとても楽しく、ケアンズのいいところを皆さんとシェアして、滞在を楽しんでもらいたい、という一心で16年が過ぎました。
2011年、思いも寄らない変化が訪れます。
父親がガン余命宣告を受けたのです。
悩みに悩んだ末、最期の時を一緒に過ごしたい、とビジネスは手放すことにしました。
本当の豊かさって何だろう?
私が日本にいたのは、ちょうど東日本大震災の直後で、混沌とした、でも新しい価値観が生まれつつあった頃。自分自身はパニック障害になってしまい、色々な意味で「命」と向き合う半年間でした。
ケアンズに帰ってきて、これから何をしようかな。。と考えたとき、今の自分にできて、今まで人に喜ばれたことで、やってみたいと思えること。。で、浮かんだのがショップを創ること。
誌面から離れて、実際に人と関われる[場]、そして今思えば自分の居場所ががほしかったのだと思います。
編集者時代に、「自然と共存する」「本当に体にいいモノを少しコストがかかっても作る」「売り易さでなくて自分の信念を大切にする」 …といった方々の姿を見てきたので、イメージはすぐにできました。
それは、「お金を超えた本当の豊かさ」や「自分らしく誇りを持って生きる姿」を見せてくれた作り手の方たちと、上質な品を求める方々を結ぶ場。
そして2012年4月、自分の誕生日に合わせてパウチの開店に踏み出しました。
パウチは、不思議なことに、ヒーラーさんがふらっと立ち寄ってくださったり、お客様にもよく「ここ、癒される」とか「居心地がいい」と言われます。皆さんのご要望に応える中で、自然とワークショップを行うようになり、ネイルやアロマセラピーなどのコーナーも生まれました。
今は作り手さんを訪ねるツアーなど、オリジナルの旅を企画したりと、パウチは私の活動の拠点となりました。
私は昔から「外国を知りたい」という気持ちが強く、海外文通したり、鎌倉で外人さんをガイドしたり、お金がない学生時代からできることをしてました。 日本では、「女の子のくせに」とか「子どもらしくない」とか「経験もないのに無理」とか「変わってるね」とよく言われ、色々やり辛かった記憶があります。 でも、海外旅行やワーキングホリデーで一歩外に出てみて、異なる肌の色の人たちが、自然体で堂々と生きている姿を見ているうちに、「自分のままでいいんだ」と思えるようになり、楽になったんです。 出身大学や会社名や役職よりも、「あなたは何をしている人なのか」「どんなことを考えている人なのか」が重視されるオーストラリアで暮らすうちに、自分の根っこに向き合うことが増えました。 紙媒体を立ち上げたのも、お店を開いたのも、ツアーを始めたのも、ケアンズという地が「自分らしく在ることにGOしてくれた」から。 同じように、1人でも多くの方が本来の輝きを取り戻すお手伝いがしたいというのが、今の私のしごとの原動力になっています。 2011年、全てが無くなってしまった後、伊勢神宮に初めて行きました。私のご祈祷内容は「日本復興」。何と大それた!と思いましたが、その言葉しか出てこないので仕方ありません。 海外にいるせいか、日本人の洗練さ、他を想う優しさ、許容力、勤勉さ。。様々な素晴らしさがよーくわかります。 色々な時代背景の中で忘れ去られていることもあるけれど、本来の大和魂は、それは崇高なもの。だから、私たち1人1人が自分を取り戻したら、国全体が光る。 女性が自分らしく輝くことは、日本、ひいては世界の平和につながると信じています。 それぞれが個性的なんだけど、リスペクトし合っている。共鳴しあう調和と喜びの世界。そんな理想に向かって、軽やかに、たおやかに。 この小さな町、ケアンズから自分ができることをやっています。 長文お読みいただき有り難うございました。ハッピーの輪が広がるよう願いつつ。。!
Testimonials
有名スポットからローカルな人や場所まで。 ケアンズ在住20年の恵子さんへ相談すれば、ケアンズでの理想の過ごし方がきっと見つかります。 具体的なプランが曖昧でも、こんな気分だな、こんな風に過ごしたいな、また、ケアンズでこんなふうに過ごしたことで、こんな自分になっていたいな、、などなど ひとりひとりにぴったりと合った、大手ツアーでは得られない、 ローカルな旅と体験が待っていると思います。私自身も、恵子さんと過ごしたケアンズでの日々は、 自分自身を掘り下げる、貴重な機会となりました。